このブログでは、時々緘黙症の論文を取り上げています。私は専門家ではないのですが、自分自身の勉強も兼ねて。
今回は、これです。比較的よく引用されているので取り上げます。
畠瀬直子 (1978). 心因性緘黙症児のための心理治療仮説. 児童精神医学とその近接領域, 19(4), 227-245.
■ 概要
遊戯療法により完治をみた場面緘黙症児の事例を示し、場面緘黙症の心理治療仮説を導いた論文です。
■ 所感・所見
場面緘黙症の事例研究は日本でも数多いのですが、今回の研究は、その中でもよく引用されています。調べたところ、場面緘黙症の治療仮説がある、として引用されていることがままあり、そのことが被引用回数の多さにつながっています。
心理治療仮説は、心理治療、特に遊戯療法を行う上での仮説で、私には分からない技術的な問題がいくつか含まれています。このため、この仮説についてコメントするのは控えます。
しかし、今回の論文には、ほかにも気になった点がいくつかあるので、それについてコメントします。
○ 緘黙症が「完治」
まず、この論文では、緘黙症児が遊戯療法により「完治」したという表現が用いられています。たしかに治療室内では緘黙症状が完全に消えましたが、治療室外ではどうだったのか、セラピストがいない場面ではどうだったのか、この論文を読むだけでは十分に読み取れませんでした。改善したらしいことは読み取れるのですが、どの程度の改善だったかが、もう一つよく分かりません。4年後の追跡調査では、学校では緘黙症状は消えていたものの、内気な子どもに一般的にみられる程度の問題はあったことが少し気にかかります。
たとえ治療室内で声が出るようになっても、それが治療室を出た後も続くかどうかは、一つの問題です。行動療法では、学校を舞台に少しずつ発話を促そうという試みがなされることがありますが、これにはそうした問題がないというメリットがあると、どこかで読んだ覚えがあります。学校内が言ってみれば治療室なわけで、学校で声が出ればそのまま問題解決ということになるからです。
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2009.11.17
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緘黙症の論文を読む(和)
ある方から、場面緘黙症についての興味深い新聞記事を教えていただきました。ありがとうございました。
アイルランドで著名な Linda Graham 氏という現代画家(50代)が、場面緘黙症の過去を始めて語った、という内容の記事です。記事が掲載されたのは Irish Independent というアイルランドの有力紙で、掲載日は2007年9月30日、記事のタイトルは Artist looks back on her eight-year childhood silence です。Linda Graham 氏の話は、RTE(アイルランド放送協会)のテレビ番組でも特集されたそうです。
著名な画家が、50代にして初めて緘黙の過去を語った、ということに重みを感じます。
Graham 氏が語る緘黙の感覚は、実にリアルです。12歳の頃に言葉が出たというのに、50代になってもなお、そのときの感覚を生々しく覚えていることに、私などは驚きを禁じえません。彼女にとって、緘黙の経験はそれほど忘れられないものだったのでしょうか。しかし、Graham 氏の証言は、緘黙の子の気持ちを代弁し、緘黙の理解を促すものと思います。
さらに、Graham 氏は、緘黙に無理解な親からひどい仕打ちを受けます。この Graham 氏に行われた仕打ちについて、RTEのウェブサイトなどは、physical abuse(身体的虐待)という表現まで使っています。家庭でも居場所がなかったのでしょう。虐待とまではいかなくても、緘黙の子に無理解ゆえに親から厳しい態度を取られたという話は、現代日本でも、インターネットで見かけることがあります(ただし、理解のある親もいます)。
心が痛む話ばかりで、何か救いはないのかと思いながら読み進めたところ、見つけたのが、芸術にのめりこみ、王立美術院に認められたというくだりです。アイルランドを代表する現代画家となる端緒でしょう。ただし、それは初めて声が出るようになった12歳より後の、14歳以降の話です。つまり、緘黙症状が軽快した(もしくは消え去った)後の話です。この時期の問題が気にはなりますが、何はともあれ救いだろうとは思います。
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以前、私は「場面緘黙症の有名人」という記事の中で、次のように書きました。
「私は、場面緘黙症を経験した有名人が今後明らかにされることがあるとしたら、芸術・文化方面に比較的多くなるのではないかと推測しています。場面緘黙症の人は、他者とうまくコミュニケーションがとれない反面、内的世界は豊かな人が多いと思うのです」
面白い偶然で、今回はそのとおり画家の方でした。他にも探せば有名人、見つかるかもしれません。
2009.11.10
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ドラマ、新聞記事等になった緘黙
このブログでは、私が緘黙だった頃のことを連載形式で書き続けています。今回は中学生編の第25回です。通算第52話をお届けします。
前回の話⇒こちら / 緘黙ストーリーの目次⇒こちら / あらすじ⇒こちら / 登場人物⇒こちら
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■ 進路調査
中学3年の2学期にもなると、先生方は、わたしたち生徒に対し、これまで以上に進路について深く考えるよう指導されました。
10月には進路調査が行われました。将来どんな職業に就きたいか、進学と就職のどちらを希望するか、等々について書面で尋ねられました。
◇ どんな職業に就きたいか
将来どんな職業に就きたいかについて、私はたしか「自分に合った職業」と答えたと思います。
私には、将来具体的にこういう職業に就きたいという希望はありませんでした。私は外ではろくに人と話せず緘黙してしまいますし、加えて無類のおっちょこちょいで、何をさせても人並みはずれて失敗ばかりでした。このため、自分に勤まる仕事などとてもありそうに思えず、特定の職業への希望を持つこともなかったのです。また、こんな不器用な私が「将来○○の仕事をしたい」という希望を持つことは、不遜な思い上がりではないかというようなことも考えていました。
そういうわけで、謙虚に「自分に合った仕事がもしこの世の中にあれば(ないだろうけど)、その仕事こそ天職だろう」という思いで、進路調査では「自分に合った職業」に就きたいと答えたのでした。
◇ 進学を選ぶ
中学卒業後の進路については、これまでにもお話してきたように、高校(普通科)への進学を考えていました。
というのも、私の親が、「これからの世の中、男は大学を出ていないと」と、以前から繰り返し私に説いていて、その話を私は素朴に信じていたからです。大学に行くためには、高校に進まなければなりません。
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2009.11.03
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私と私の緘黙