小学1〜3年の頃・緘黙症になる前(1)
大河ドラマ・私の緘黙ストーリーです。前回の記事はこちら。
小学1〜3年の頃は、私がまだ学校で話せなくなる前なので、さらっと触れるにとどめたいと思います。覚えていることも少ないですし。
(それにしても、小4で発症なんて、本当に私は場面緘黙症だったのだろうかと疑問に思うこともあります)
今回は、私が小学1〜3年の頃の学校生活について書いています。
■ 駄目なものは駄目…
私はクラスでもあまり目立たない、大人しい子でした。友達もいないということはなかったのですが、多い方ではありませんでした。
小学1〜3年を通じてスポーツが全然駄目でした。いじめられることもあり、ちょっと泣き虫なところがある子どもでした。
■ 学校生活に明るい面も
勉強できない、スポーツだめ、いじめられっ子と、どん底からのスタートだった私ですが、次第に学校生活にも慣れて、明るい面も出てきました。
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いきなり「足し算」でつまずいた算数でしたが、親に頼んで計算ドリルを買ってもらい、家で何度も解きました。授業は真面目に聞き、宿題は欠かさずこなしました。そんなことをしばらく続けていくうちに、特に授業についていけないということはなくなっていきました。
入学当初は図工で才能を発揮し、小学1年の時には独創的な動物の絵で金賞を、小学2年の時には特異な成人男性のお面で「こわいで賞」を受賞しました(「こわいで賞」って、何?)。
また、親に買ってもらった昆虫図鑑を好きで眺めているうちに、クラスメイトの一部から「昆虫博士」と呼ばれ、慕われるようになりました。
■ 放課後の私
放課後に何をして過ごしていたのかは、はっきり覚えてはいません。
書道や水泳といった習い事や宿題の時間以外は、何をしていたのでしょうか?
他の子どもは毎日のように友達と一緒に遊んでいたようですが、私にはそういった友達も少なく、そんなに友達と遊んだ覚えはありません。外で一人遊びをしていたのかもしれません。
あるいは、家で勉強をしたり、ぼーっとしたりしていたのかもしれません。ゲームも漫画も満足に買ってもらえませんでしたしから。夕方頃には、藤子不二雄劇場など、テレビアニメを見ていたような記憶もあります。
■ 呼び捨て禁止
私たちの学校では呼び捨て禁止という校則があり、どんなきかん坊もこれには大人しく従っていました。ですから、私などは
「富氏君なんて死んでしまえ」
などとご丁寧にも君付けで悪口を言われたものです(小学生ぐらいの男の子は、平気で「死ね」とかいう言葉を使います)。
こういう環境で育ったものですから、人を呼び捨てにするなんていうのは最低の行為などと思い込んでいました。ドラえもんは「スネ夫!」などと普通に呼び捨てするのに、おかしなものです。もっとも、他の地域に行けばこの常識は通用しないということを、後で思い知らされます。
■ 遠足でVサインした写真
小学3年の秋、遠足でカメラに向かって無邪気にVサインした写真が残っています。このときはまだ普通に振舞うことが出来たという証拠です。
このわずか半年後に、私は外で極度に緊張して話すことができなくなり、Vサインすらできなくなるのです。
※ モザイク処理を施していますが、お見苦しい画像だから、というわけではありません。
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(つづく)
[続きの記事]
★ 小学1〜3年の頃・緘黙症になる前(2・完)
2006.07.07 | Comments(9) | Trackback(0) | 私と私の緘黙

となってしまったのか、続きが楽しみです。

