十周年を迎えるかんもくネット

2017年04月17日(月曜日)

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7月1日、尼崎で定員250名の研修講座

2017年04月03日(月曜日)

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研修講座「場面緘黙の理解と支援」


[追記(2017年4月24日)]

会場の情報などが変更されたので、この記事の内容も一部修正しました。現在正確でなくなった情報には、打ち消し線を引いています。


兵庫県で場面緘黙症の研修講座が開かれるそうです。主催者の「日本緘黙研究会」が、ホームページで情報を公開しています。定員250名と規模が大きい講座なので、ここでお知らせします。

場所:兵庫県尼崎市内の開場を予定 関西国際大学 尼崎キャンパス
日時:2017年7月1日土曜日
対象:保護者・教員・支援者・当事者・経験者・研究者等(ただし、「高校生以下のご参加はご遠慮ください」とのこと)
主催者:日本緘黙研究会・関西国際大学心理臨床研究所

日本緘黙研究会のホームページには、より詳しい情報があります。

◇ 日本緘黙研究会ホームページ研修講座「場面緘黙の理解と支援」開催のお知らせ (新しいウィンドウで開く

研修講座というので、教師や臨床家が対象なのだろうかと思ったのですが、そうでもないようです。緘黙に関心がある方であれば、誰でもよさそうです。


昨年には、東京で同様の講座があった


日本緘黙研究会は、昨年の6月26日にも同様の研修講座を行なっていました。今年と同じ初夏の開催です。昨年の講座のタイトルは「場面緘黙の理解と援助」ですので、今年のタイトルは「援助」が「支援」に変わっただけです。

昨年の講座とは違いもあります。まず、昨年は東京での開催だったのに対し、今年は兵庫県での開催です。尼崎だと、大阪に近いです。また、昨年は日本緘黙研究会単独での開催だったようですが、今年は関西国際大学心理臨床研究所との共催です。あと、講座の内容も、少し変わっているようです。

来年以降も、毎年6月末から7月初旬にかけて、開催地を変えて行なわれていくのでしょうか。などと言ってみましたが、私は日本緘黙研究会の会員ではないので、何も分かりません。

教師・親の理解/無理解の4パターン

2017年01月08日(日曜日)


全ての教師や親が、緘黙を理解しているわけではない


私たちの知っている多くのお母さんたちはとても明るく暖かく子どもたちの支援に取り組んでいらっしゃいます。むしろ、学校に理解し動いてもらうにはどうしたらいいのか、と日々試行錯誤してるのです。

有力な親の会の一つ「つぼみの会 (場面緘黙 親の会 関東)」さんによる、映画『校庭に東風吹いて』の感想の一部です。

↓ 「つぼみの会 (場面緘黙 親の会 関東)」さんのブログへのリンク。
◇ 「 映画『校庭に東風吹いて』鑑賞&お話会まとめ
 (新しいウィンドウで開く

学校は、必ずしも緘黙のことを理解して支援に動いてくれるわけではないのでしょうか。教師の無理解を訴える当事者・経験者、保護者の話は、私も多数目にしています。

その一方で、親が理解してくれない・理解してくれなかったという当事者・経験者の話も昔から目にします。私にしても、学校で話せなかったことに理解がなかったのは、学校よりもむしろ親の方でした(私の場合、診断は受けていませんが)。


教師・親の理解/無理解を4パターンに分類


そこで、教師・親の緘黙に対する理解/無理解を、4つのパターンに分けてみることにしました。

パターン1:教師も親も、緘黙を理解しているパターン
パターン2:教師は緘黙を理解しているが、親は無理解なパターン
パターン3:教師は緘黙に無理解だが、親は理解しているパターン
パターン4:教師も親も、緘黙に無理解なパターン

つぼみの会さんが見ている現状は、パターン3に相当するだろうと思います。一方、私自身の経験はパターン2に近いです。

それぞれのパターンについて、私なりに思うところを書いてみたいと思います。

パターン1:教師も親も、緘黙を理解


これは、緘黙当事者の支援に理想的なかたちです。緘黙の本は、このかたちを前提に書かれている場合もあります。


パターン2:教師は緘黙を理解しているが、親は無理解


場面緘黙症の児童生徒は家庭では話ができることから、親は子どもの問題に気付いたり、事の重大さを認識したりはしにくいかもしれません。こうした親が、親の会に入会することはあまりないような気がします。場面緘黙症Journal にアクセスすることもそうなさそうです。

親は子どもにとって身近な存在です。また、一般に親は、学校の担任教師と比べて長期的に子どもと関わります。それから、緘黙は学校場面だけで現れるわけではなく、学校外での緘黙支援には親の役割が期待されます。親が無理解だと、このあたりが問題になりそうです。

理想的なかたち(パターン1)にするには、教師や当事者が、親に理解を求める方法などが考えられます。Twitter では、当事者・経験者が親に理解を求めたものの、相手にされなかったという話を何度も目にしたことがあります。子どもが親に理解を求めることの難しさを感じます。

なお、家庭には親が二人いる場合が多いですが(私のように片親の家庭もあります)、一方の親は理解があるのに、もう一方は理解がないという場合もあります。


パターン3:教師は緘黙に無理解だが、親は理解


このパターンの場合、学校で緘黙児に対する支援が適切に行なわれていないと考えられます。緘黙は主に学校場面で現れるのに(もちろん、それ以外の場面でも現れることがあります)、その学校で支援が行われていないと問題です。よく緘黙を理解してほしいという話になると、特に教師の理解を得ることが重視されますが、それは、このあたりのところが理由ではないかと思います。

理想的なかたち(パターン1)にするには、親が教師に理解を求めるか、当事者が教師に資料を渡すといった非言語的なかたちで理解を求めることになるだろうと思います。緘黙の本の中には、教師から理解を得るための具体的な方法を書いたものもあります。

平成28年度(2016年度)から障害者差別解消法が施行され、学校は障害者に合理的配慮を行なうことが義務化されました(ただし、私立は努力義務)。緘黙児がこの法律で定める「障害者」の定義に含まれるのかどうか、正確なところはいまだに私には分からないのですが、合理的配慮の流れは緘黙にもきていて、学校は配慮の要望があれば本来放ってはおきにくいはずではないかと思います。


パターン4:教師も親も、緘黙に無理解


緘黙児は、教師からも親からも支援が得られない状況です。4つのパターンのうち、最も厳しい状況です。

しかも、もし当事者自身が「場面緘黙症」を知らなかった場合、周囲も当事者も緘黙を知らず、緘黙に関する情報から完全に孤立していることになります。ただ、それでも理解ある同級生や友達に恵まれれば、だいぶ変わるかもしれませんが……。


治療専門家を加えると……


これに治療専門家を加えると、理屈の上では、次の8パターンに分けることができます。各パターンについての細かい話は省きます。

パターン1:治療専門家も教師も親も、緘黙を理解しているパターン
パターン2:治療専門家と教師は緘黙を理解しているが、親は無理解なパターン
パターン3:治療専門家と親は緘黙を理解しているが、教師は無理解なパターン
パターン4:治療専門家は緘黙を理解しているが、教師と親は無理解なパターン

パターン5:教師と親は緘黙を理解しているが、治療専門家が無理解なパターン
パターン6:教師は緘黙を理解しているが、治療専門家と親が無理解なパターン
パターン7:親は緘黙を理解しているが、治療専門家と教師が無理解なパターン
パターン8:治療専門家も教師も親も緘黙を無理解なパターン