緘黙ストーリー、中学生編の第5回です。通算第32話をお届けします。
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「こちら」。
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第29話「
部活動選び」でお話したとおり、私は囲碁・将棋部に入りました。
■ 部活動の内容
囲碁・将棋部は、実質的には将棋部でした。囲碁をする生徒が一人もいなかったからです。
部活動の内容は、ただ将棋をする、それだけのものでした。ですが、多くの部員は、放課後に自宅で熱心に研究をしていました。部活動は実践の場だったわけです。
■ 最初は将棋が指せなかった
私は最初の部活動の回、他の新入生と違って対局(将棋の試合)ができませんでした。対局は、みんな自然に「一緒にやろう」と誘うなどしてするものでした。しかし、私にはそのようなことはできず、部活動の時間が終わるまで、黙ってぼーっと突っ立っているだけでした。このように、何もできずに黙ってぼーっと時間を過ごすのは、私の学校緘黙生活ではそれほど珍しいことではありませんでした。
私が部活動に参加して何回目のことだったでしょうか、ある新入生が、私に将棋をしようと誘ってくれました。しかし、私は、失礼にも相変わらずぼーっと突っ立っているだけでした。どうしてこういう態度をとったのかというと、うまく説明できません。
そのとき、側にいらした顧問の先生が、「富重君は、偉い人なんだ。頭を下げて『お願いします』と頼むんだよ」と冗談めかしておっしゃいました。そこで、その新入生はその通りにしたのですが、私もそれで恐縮して、彼と対局することにしたのでした。彼に頭を下げさせたりして、よくなかったと今でも思っています。
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先日、私の母が妙な話をしていました。
私が幼稚園に通っていた頃、母は私の担任の先生と面談する機会があったそうです。そのとき、先生は母にこう話されたとか。
富重君、(幼稚園で)笑わないんです。
これに対して、母はこう考えたそうです。
この先生、うちの子のことをよく見ていない。うちの子は(私の前では)よく笑っているのに。
言われてみれば、私は幼稚園に行くと笑わなくなっていたような気もしますが、記憶が曖昧で定かではありません。ただ、卒園アルバムに載っている50枚を超える私の写真は、他の園児と違って無表情な顔がほとんどで、先生がおっしゃっていたことをほぼ裏付けています。
幼稚園で笑わない、という程度ならそれほど大きな問題ではなかったのかもしれません。しかし、もし先生が母におっしゃったことが、
富重君、(幼稚園では)口をきかないんです。
だったら、どうなっていたことでしょうか。
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私の母は昔から、息子のことは自分が一番よく分かっているという自負を持っていました。たしかに母は、誰よりも私と接する時間が長かったので、もっともな話です。しかし、その自負が、もしかしたら息子の正確な理解を妨げてしまったのかもしれません。母が知っていた私は、主に家庭場面での私に過ぎません。
さらに、幼稚園時代の私の担任の先生は若い方だったので、そのことが「この先生の言うこと、どこまで信用できるのだろうか」という疑念を、母に生ませたのかもしれません。
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緘黙ストーリー、中学生編の第4回です。通算第31話をお届けします。
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中学1年の新しいクラスでは、相変わらず緘黙し、笑えず、動きも鈍かったのですが、学校生活には概ね満足していました。先生方やクラスメイトたちは、話すことができない私を理解し、親切に接していたからです。
■ 先生は
中学校になると、学級担任の先生の他にも、教科担任の先生、部活顧問の先生と、多くの先生と接することになりました。
ですが、どの先生も、学校で緘黙する私のことを責めたり、発話を強要したりすることはありませんでした。私は大人しくて真面目でお利口な生徒と見られていたようで、褒められることこそあれ、叱られることはありませんでした。もっとも、先生方が場面緘黙症のことをよく理解されていたかどうかは、分かりません。
◇ 「富重ちゃん」
クラス担任の先生は、目立たない私のことをクラスで積極的に話題にしてくださいました。半ばひいきのようにも感じたのですが、私がクラスで孤立しないようにという配慮だったのかもしれません。このあたりの対応は、小学5〜6年の頃の担任・Y先生のものと似ています。
こんな逸話があります。ある日、先生が私のことを唐突に「富重ちゃん」と呼んだのです。この「ちゃん」付けがクラスでとても受けて、それ以降、私は多くのクラスメイトから親しみを込めて「富重ちゃん」と呼ばれるようになったのでした(ですが、片思いのKさんは、そう呼んでくれませんでした >_< )。
先生は、私がみんなから親しみを込めて呼んでもらえるような呼び方や、あだ名を考えたのでしょう。それにしても、中学1年の男子生徒にどうして「ちゃん」付けだったのかは謎です…。
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緘黙ストーリー、中学生編の第3回です。通算第30話をお届けします(実にいい数字の並びです!更新日が3月3日、記事番号が300番だったらもっと良かったのに、惜しい!)。
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当時の私は場面緘黙症を知らず、自分が学校で話せないのは性格の問題と考えていました。そして、中学に入ったらこの性格を変えるんだと意気込んでいました。
ところが、学校生活を続けているうちに、性格を変える(場面緘黙症を治す)ことよりも、自分にはもっと大事なことがあるのではないかと考えるようになりました。それは、
勉強でした。
■ なぜ、そこまで勉強が大事だったのか?
中学に入ると、小学校のときよりも勉強の負担が重くなるため、勉強の優先順位が高くなるのは当然のことでした。
それに加えて、私にはどうしても勉強を重視したくなる、様々な理由があったのでした。
◇ 高校の学歴がものを言う土地柄
私が住んでいた地域では、高校の学歴が非常に重視される土地柄でした。もしかすると、最終学歴よりも、どこの高校を出たかの方がこの地域社会では重視されるのではないか、と思われるほどでした。こうなると、中学の勉強に自然と力が入ります。
◇ 勉強重視の校風
私が住んでいた校区は文教地区で、教育に力を入れる保護者が多いことで知られていました。市内の中学校で統一テストをすると、だいたい私が通う中学校がトップクラスの成績だったと聞きます。こうした環境の影響も受けていたことでしょう。
◇ 両親が難関高校出身だった
しかし、最も大きかったのは、私の両親です。両親は中学時代、それそれは優秀な成績を収めていたそうで、県内でもトップクラスの高校に進学していました。このため、緘黙や対人恐怖は多少放って置いてもいいから、とにかくしっかり勉強して、親と同じように難易度の高い高校に進まないといけないというプレッシャーがあったのでした。
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