精神科医は緘黙症児を敬遠している?

2008年07月26日(土曜日)

精神科を訪れるケースではより重症で難治なタイプⅡ、あるいはタイプⅢである割合が多いと考えられ、この食い違いが教育現場における選択緘黙のイメージと精神科の臨床におけるイメージとの違いを生んでいるように思われる。すなわち教育関係者は思春期を過ぎれば選択緘黙は自然軽快するものと思いがちであるのに対して、精神科医はアプローチが困難で治りにくい障害と捉えてどちらかといえば敬遠する向きがあるが、見ている対象が異なっているのであろう。

精神科医は、場面緘黙症児を敬遠する向きがある!?そんな、ひどい…。

重症で難治な子ほど、治療や支援が必要なのに、逆に敬遠されてしまうとは…。

しかし、アプローチが困難だと、もしかすると、そもそも適切な治療を施そうにもできないという精神科医もいるのかもしれません。また、精神科医とて人です。扱いが難しい障害を抱える子を、つい敬遠してしまいたくなるのは人情なのかもしれません。その他、治る見込みが薄い子どもに治療を施すのには、様々な問題があるのかもしれません。

それにしても、重症で難治である上、それゆえに精神科医にさえ敬遠される緘黙の子は、とても気の毒だと素朴に思います。

[追記]

冒頭の「タイプII」「タイプIII」は、大井ら(1979)の場面緘黙症の分類です。詳しくは、「社会化欲求型、社会化意欲薄弱型、社会化拒絶型」をご覧ください。(08/09/2008)

[文献]

◇ 大村豊 (2006). 選択緘黙-成人期への影響- 精神科治療学, 21(3), 249-256.

人付き合いの経験

2008年07月20日(日曜日)

緘黙ストーリーの構想づくりが長じて、この頃、自分の中学時代をよく思い出すようになってしまいました。

今振り返ってみると、当時の私のクラスメイトは、中学生なりに、人付き合いや友達作りについて、色々考えたり悩んだり工夫したりしながら、様々な経験を積んでいたように思います。

ひるがえって私はどうだったかというと、学校で緘黙していたわけですから、もうそれ以前の問題でした。ただ黙っていることだけしかできませんでした。

ただ、私の中学時代には親切なクラスメイトがたくさんいて、例えば前回の緘黙ストーリーのMさんのように、黙っているだけの私に積極的に働きかけてくれる人が数多くいました。私はそうした人たちの言うことに、うなずいたり首を横に振ったりするだけで、だいたいのコミュニケーションをとることができたのでした。

こうした、相手が話しかけてくれるのを待って、うなずいたり首を横に振ったりするだけの受動的なコミュニケーションを、中学校の頃だけではなく、小学校~高校、さらには大学に入ってからも続けていました。続けざるをえなかったのです。一方、私以外の人は、様々な人付き合いの経験を積んでいました。その差は広がるばかりでした。

20代も半ばになって、場面緘黙症をほとんど完全に克服し、はじめて人付き合いや友達作りについて、いろいろ考えたり悩んだり工夫したりして、様々な経験を積むようになりました。考えてみれば、ここで私がやっていたことは、中学生の同級生たちがやっていたことと大差ないように思います。しかし、これは仕方がありません。スロースターターとして生きていくほかありません。


文部科学省初等中等教育局特別支援教育課

2008年07月15日(火曜日)

文部科学省初等中等教育局特別支援教育課

分かりにくいので、改行して書きます。

文部科学省
初等中等教育局
特別支援教育課

こういう名前の部署が存在します。以下は、そのホームページとみられます。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/main.htm
(文部科学省ホームページ)

場面緘黙症の児童生徒は「情緒障害児」であり、特別支援教育の対象にすることができます。しかし、上記ページは、「特別支援教育」のページであるにもかかわらず、場面緘黙症に関する情報はあまり載っていません。特別支援教育の対象は幅広いですし、全ての場面緘黙症の児童生徒が、特別支援教育を受ける必要があるわけではないからでしょう。

ですが、上記ページには、「通級による指導の実施状況」などの、重要な資料が公開されており、人によっては役立つかもしれません(「通級による指導」とは、「その障害の状態に応じて行われる特別の指導」のことです)。

ちなみに、

文部科学省初等中等教育局特別支援教育課特別支援教育調査官

という役職もあります。

[関連ページ]

◇ 場面緘黙症と法(学校教育法施行規則)