元緘黙少女、音楽の道へほか

2009年05月26日(火曜日)

先週、アメリカのメディアで、緘黙の子が立て続けに取り上げられました。読んだ感想、見た感想を簡単にまとめておきます。

■ 元緘黙少女、音楽の道へ

一つ目は、現地時間19日に、モンタナ州のテレビ局のウェブサイト KTVQ.com に掲載された記事 "Billings HS senior receives award" です。この記事はどうもテレビ放送されたものを書き起こしたもののようで、ウェブサイトには動画も公開されています。

内容は、場面緘黙症だった現在高校生の少女が、ピアノと歌(!)に才能を見出し、奨学金を得たというものです。

緘黙の子や、その保護者の方にとって、希望を感じさせる明るいニュースだと思います。

緘黙の子にも何らかの才能が眠っていたり、長所があったりするので、それに気づいて伸ばすことは大事なのかなと思います。この子は音楽の才能を伸ばすことで、緘黙をも克服してしまい、まさに「長所を伸ばせば、短所も伸びる」の通りです。もっとも、このようにうまくいかないことも多いだろうとは思います。それにしても、緘黙はある程度大目に見てその子の長所を伸ばすのがいいのか、それとも長所を伸ばすのもいいが緘黙の克服により多くの力を注いだ方がいいのか、どちらがいいのでしょうか?

■ NBA観戦で話せるようになった子

二つ目は、現地時間20日(電子版で確認)に、フロリダ州・オーランドの新聞 Orlando Sentinel に掲載された記事 "Magic are the talk of the town, even for a child who rarely speaks" です。

アメリカでは、プロバスケットボール(NBA)が人気です。オーランドでは、多くの人が地元チーム「オーランド・マジック」の話題で盛り上がっているのですが、緘黙だった男の子まで、マジックのことで話し出した、という内容のようです。

この男の子は "selective mutism"(場面緘黙症)であると記事には書かれてありましたが、よく記事を読むと、家庭でも話せなかったようで、全緘黙症だろうと思います。

これまた明るい内容の記事です。こんなに簡単に話せるようになったら苦労はないよ、とも思うのですが、スポーツ観戦はかなり興奮するものですし、興奮して声が出るということも、もしかしたらあるのかもしれないと思います。

ちなみに、私は緘黙が治りかけていた頃、ひょんなことで興奮して、自分でも驚くほど大きな声が出たことが2度あります。1度目はかわいい異性に会ったとき(スミマセン…)、2度目は尊敬する先生の授業を受けていた時です。

■ 緘黙は、自分の意思で話さないのではない

最後は、現地時間22日(電子版で確認)に、ニューハンプシャー州・コンコルドの地方紙 Concord Monitor に掲載された "Suspect won't talk to adults" という記事です。

この記事では、ある精神科医が、場面緘黙症を「大人とコミュニケーションしないという意図的な決意」"a willful decision not to communicate with adults" と述べた箇所がありました。私のような素人が言うのも変ですが、これは明らかに誤りです。場面緘黙症の啓発については先進国であるアメリカでも、このように誤解している専門家がいること、そしてこのような誤った情報が新聞を通じて発信されたことが残念でした。


緘黙は自分のアイデンティティだ!治さない!

2009年05月18日(月曜日)

「緘黙identity」という概念を提唱した専門家がいます(荒木, 1979)。

* 以下引用 *

話さないという状況が持続すると、ついには「話せるようになるまでは、creative なことは何もしないと決心していました」(症例22)というような、緘黙のまま生きるということを自ら選択した一つの生き方(life style)としてしまう人(緘黙identity)もある。

* 引用終わり *

場面緘黙症の一経験者(自己診断ですが)として、実によく分かります。

私は場面緘黙症が何年経っても治らなかったのですが、そのうち、緘黙を自分のアイデンティティと考えるようになっていきました。

こうした考え方が正しいかどうかは別として、場面緘黙症を治すのにはマイナスでした。

というのも、緘黙が自分のアイデンティティだとすると、緘黙でなくなるということは、自分が自分でなくなってしまうことを意味するからです。このため、緘黙が治るということが、時に、非常に恐ろしいことのように私には思えました。これは、緘黙を治そうという意欲にマイナスに働きました。

もっとも、当時の私は場面緘黙症を知りませんでした。もし場面緘黙症のことを知っていれば、緘黙は自分のアイデンティティなどではなく、治療可能な病気のようなものにすぎないと捉えたかもしれません。

これはあくまで私の場合で、他の緘黙が長引いた人もこうなのかどうかは分かりません。

[文献]

◇ 荒木冨士夫 (1979). 小児期に発症する緘黙症の精神病理学的考察. 児童精神医学とその近接領域, 20(5), 290-304.


場面緘黙症の治療法の展望

2009年05月13日(水曜日)

このブログでは、ときどき場面緘黙症の論文を取り上げています。私は専門家ではないのですが、自分自身の勉強も兼ねて。

今回の論文はこれです。

Cohan, S.L., Chavira, D.A., and Stein, M.B. (2006). Practitioner Review: Psychosocial interventions for children with selective mutism: a critical evaluation of the literature from 1990-2005. Journal of child psychology and psychiatry, and allied disciplines, 47(11), 1085-97.

■ 概要

英語圏の学術文献データベースのウェブサイトより、場面緘黙症の心理社会的介入に関する査読論文(1990-2005年)を集め、先行研究を総覧し、展望をまとめたものです。

■ 所感

◇ 行動療法と認知行動療法が有効か

場面緘黙症の心理社会的介入には様々なものがありますが、著者によると、先行研究により行動療法と認知行動療法が効果があることが分かってきたそうです。ただ、場面緘黙症の心理社会的介入の報告は査読論文には少なく、著者が集めた15年間の文献でも、行動療法9件、精神力動療法5件、認知行動療法1件、家族療法1件、様々な治療法を複合したもの6件しかありません。ですので、これら先行研究だけをもって、どの介入法が効果的だとかそうでないとか、結論を出すには留保が必要ではないだろうかと私などは思います。

こうした介入法に関する蓄積は、アメリカの SMart Center とか、イギリスの SMIRA といった場面緘黙症に特化した治療機関、支援団体に豊富そうです。査読論文に目を通すのも一つの方法ですが、こうした支援団体の情報からも様々なことが分かりそうです。『場面緘黙へのアプローチ』や『場面緘黙児への支援』といった翻訳書もそうした情報の一つで、有益です。

今回の論文は場面緘黙症の介入法のうち、心理社会的療法に注目したもので、薬物療法については研究対象から外れています。薬物療法の有効性はどうか、心理社会的療法と併用するとどう効果があるか、薬物療法と心理社会的療法はどちらが効果的か、等々についても私は興味があります。

◇ レビュー論文

今回のような論文を「レビュー論文」「展望論文」というのでしょうが(間違っていたらすみません…)、こうした論文は、これまでの研究を概観するのに役立ちます。いきなり個別の文献に当たるよりは、まずレビュー論文に目を通してみるのが一つのコツかなと思います。

◇ 日本のレビュー論文

なお、日本でも、場面緘黙症の治療法に関するレビュー論文がこれまでに出ています。次の2件です。

相場嘉明 (1991). 選択性緘黙の理解と治療-わが国の最近10年間の個別事例研究を中心に-. 特殊教育学研究, 29(1), 53-59.

椎名幸由紀, 相馬寿明 (1998). 選択性緘黙症の治療過程に関する研究-事例研究を中心に- 茨城大学教育学部紀要(教育科学), 47, 153-164.

「相場嘉明」氏と「相馬寿明」氏は同じ方と思われます。このうち前者については、以下のページより読むことができます。国立情報学研究所のサービスです。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110006784588/
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