緘黙のセミナーをネットで(英語で)

2011年06月28日(火曜日)

場面緘黙症に関する国内外の情報をインターネットで集めていますが、日本のユーザーと英語圏のユーザーとでは、インターネットの使い方が違うと感じます。

例えば、ソーシャル・ネットワーキング・サイト Facebook は、海外で人気のあるサイトですが(日本でもここにきて注目され始めましたが)、緘黙に関心のある英語圏の人たちもよく利用しています。たとえば、アメリカ最大の緘黙支援団体 Selective Mutism Group は、同団体ウェブサイトに設置していたフォーラム(掲示板のようなもの)を廃止したのですが、その代わり?に、現在 Facebook で交流の場を設けています。そのほか、Facebook では様々な交流が行われています。

ですが、実名制の Facebook は、日本語では緘黙についての話題はほとんど出ていません。日本では、mixi による匿名での交流が盛んです。

英語圏ではまた、個人で緘黙に関する動画を作成し、YouTube のような動画投稿サイトで公開することが比較的よく行われています。その一方で、緘黙の個人ブログを公開する動きは、日本ほど広まっていません。ミニブログ Twitter にしても、英語圏で緘黙に関心のある人は、日本に比べるとさほど使っていない印象です。

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どうしてこのような違いがあるのかはよく分からないのですが、どちらがいいとか悪いとかは、特に思いません。

ただ、一つだけここは英語圏の方が羨ましいなと感じるところがあります。それは、場面緘黙症のセミナーにインターネットで参加できたり、過去のセミナーを見たり聴いたりできることです。

日本はそこまで国土が広くないので、アメリカなどに比べればウェビナー(ウェブのセミナー)やウェブキャストのありがたみはないかもしれませんが、こうした選択肢もあるのは便利そうです。

特に 動画サイト USTREAM や Apple社の iTunes Store では、過去に行われたセミナーの内容が、現在のところ無料で閲覧したりダウンロードしたりできるようになっています。iPod にセミナーの音声を取り込むこともできます。数はそれほど多くはないものの、これは役立ちます。もっとも、私はこれを聴いてみたものの、英語をなかなか聴き取ることができませんでしたが……。


緘黙症シンポジウムの報告が、こんな所で公開されてる

2011年06月21日(火曜日)

「かんもくの会-日本へ最新の緘黙症治療法をもたらす会」さんは、これまで5回にわたって、緘黙症シンポジウムを開催してきました。

このうち、日本特殊教育学会で行われたシンポジウムの報告(最新の第48回大会は除く)が、CiNiiという国立情報学研究所が提供するウェブサイトで公開されているのはご存知でしょうか。これにより、私のようなシンポジウムに参加しなかった者でも、その概要を窺うことができます。報告は、無料で、登録等も不要で読むことができます。

↓ 以下、CiNiiへのリンクです。リンク先ページ「本文を読む/探す」のあたりにある「CiNii PDF」ボタンをクリックすると読めます。または、その横にある「CiNii 論文PDF - オープンアクセス」というリンクをクリック。PDFを閲覧するにはAcrobat Readerが必要です。Acrobat Readerはこちら(新しいウィンドウで開く)からダウンロードできます。

◇ 体験者が語る緘黙症の指導体制を巡る日本の実情(準備委員会企画シンポジウム7,日本特殊教育学会第45回大会シンポジウム報告)
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◇ 緘黙症克服への取り組みのために : 成果と問題点(自主シンポジウム6,日本特殊教育学会第46回大会シンポジウム報告)
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◇ 緘黙症の支援方策を考える : 成人当事者の実態を踏まえて(自主シンポジウム59,日本特殊教育学会第47回大会シンポジウム報告)
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『特殊教育学研究』では、緘黙症シンポジウムに限らず、過去のシンポジウムの報告を誌上で行っています。それがCiNii上でも公開されているというわけです。

今回の記事を書くにあたり、かんもくの会の会員でもない私が、こういうものを紹介してよいのだろうかと戸惑いました。ですが、これらの報告書は何年も前よりウェブ上で公開されているものです。それに、こうしたものがあるということを知っていながら隠しておくよりも、ブログでお話しした方が読者の皆様にとって利益になるだろうと考え、今回ブログでご紹介することにしました。


緘黙の「自然軽快」について、雑感

2011年06月07日(火曜日)

場面緘黙症は自然に治るとか、そうでないとかいう話を聞くことがあります。これについて感じた拙いことを書きます。

■  「自然軽快」までの間に、緘黙児は何を経験する

仮に緘黙が「自然に治った」としたら、それはそれで結構なことだと思います。ただ、緘黙が「自然に治る」までの間に、緘黙の子(人)は、いったいどういう経験をするのだろうか、どういう思いをするだろうかと私などは考えてしまいます。緘黙が治るまでにどれだけかかるかは個人差があるでしょうが、早期介入せずに自然に任せた場合、それなりの時間がかかりそうに私には思えます。

「自然に治る」ことがもしあったとしても、その間に緘黙の子(人)が経験したことは軽視されないで欲しいと思います。

■  「自然に治った」は、治った原因の説明にはなっていないのでは

それから、「自然に治った」と言われると、私のようなひねくれ者は十分には満足できません。それでは、緘黙が治った原因の説明にはなっていないのではないかと考えるからです。

緘黙が「自然に治った」場合、その症状の改善の真の原因は何なのか、解明されてほしいです(難しいかもしれませんが……)。緘黙の子(人)の支援に役立つヒントが得られるかもしれません。実は「自然に治った」というのは大人の見方で、案外子どもは大人の知らないところで緘黙を克服するべく努力していたのかも……という見方は、さすがにひねくれすぎで、必ずしも当たってはいないだろうと自分でも思いますが、なんにせよ、症状改善の原因が気になります。