「緘黙は、私を定義するものではない」

2016年10月31日(月曜日)


緘黙は、私を定義するものではない」


場面緘黙症は私を定義するものではない。

Selective mutism does not define me.

緘黙に関する英語圏の情報を調べると、時折、こういう文章を目にします。だいたいは当事者や経験者が書いたものです。

「場面緘黙症は私を特徴づけるものではない」という訳もあるかもしれません。define というと、よく「(語・句)を定義する」と訳されますが、英和辞典の中には「…を特徴づける」という訳が載っているものもあります。うまい訳が思い浮かびませんが、要は、緘黙が自分のありようを全て表すわけではないということでしょう。


用例


近年のイギリスの代表的な緘黙の本である Selective Mutism in Our Own WordsTackling Selective Mutism には、ともにこの文章(の一つのバリエーション)が載っています。

Selective Mutism In Our Own Words の場合、緘黙を経験したコメディアン Helen Keen さん(有名人)の言葉として「緘黙が私を定義する必要はない。緘黙だけが私ではない」([I]t does not have to define me. There is more to me than SM.)という文が載っています(41ページ)。

Tackling Selective Mutism には、Katie さんという経験者の声として「緘黙は過去のことであり、私を定義したり、私の将来に影響を及ぼしたりするものではないと私は今では見ている」(I now see this as my past and not something that will define me or affect my future.)という文が載っています(256ページ)。

この他、インターネット上でもこういった文を見かけることがあります。

言わんとしていること、分かるような気がします。自分はどういう人間かを考えたとき、緘黙は自分を説明する上で欠かせない一部ではありますが、緘黙が自分のありようを全て表しているわけではありません。緘黙は不安症(不安障害)にすぎません。緘黙以外の自分の一面にも目を向けたいものです。


実は、他の病気、障害でも……


ただ、ネットで調べたところ、この文は緘黙以外でも多数使われているようです。次の文は、ほんの一例です。

○ 「私のうつは、私を定義するものではない」(My Depression Does Not Define Me)
http://www.nami.org/Personal-Stories/My-Depression-Does-Not-Define-Me

○ 「子宮頸癌は私を定義するものではない」(Cervical cancer does not define me)
http://www.womenspress.com/main.asp?SectionID=124&SubSectionID=26&ArticleID=4100

○ 「HIV は私の人生を大いに形作る。だが、私を定義するものではない」(HIV Has Significantly Shaped My Life, but Does Not Define Me)
https://pwnusa.wordpress.com/pwnspeaks-blog/hiv-has-significantly-shaped-my-life-but-does-not-define-me/

もっと一般的に、こんな文章まで存在します。緘黙関係者がこれを紹介しているのを見たことがあります。

○ 「あなたの障害があなたを定義するのではない。障害をどう克服したかが、あなたを定義するのだ」(Your disorder doesn't define you, how you overcome it defines you.)

こんなに様々な病気、障害で使われる文章だと分かると、ちょっと拍子抜けします。ですが、緘黙以外にも自分には様々な一面があるという点では、私はこの種の文章には共感できる部分があります。

『古見さんは、コミュ症です。』の古見さんが、緘黙に似てる

2016年10月23日(日曜日)


※ 画像は漫画とは関係ありません。

『週刊少年サンデー』連載の漫画「古見さんは、コミュ症です。」が、会話のできない少女を題材としているという情報を以前いただきました。その女子高校生・古見さんは緘黙っぽいという感想も、ネット上では一部に見られます。

その単行本第1巻が9月に発売されていたことを知り、読んでみることにしました。見たところ、確かに古見さんは、口頭での会話ができていませんでした。不安を極端に強く感じる人で、緘黙症、特に全緘黙症に似ていると思いました。そこで、第1巻を読んだ感想を書いてみようと思います。

作品の概要


作品の概要ですが、公式ホームページには、次のように説明されています。

◇ WEBサンデー|古見さんは、コミュ症です。 (新しいウィンドウで開く

比較的新しい作品です。今年の5月18日に発売された『サンデー』第25号から連載が始まりました。作者は、オダトモヒトさん。

沈黙の美少女・古見さんを、小心者の同級生・只野君の視点から描いています。

美少女と冴えない男という組み合わせ、さらに、主要登場人物は女子(や女子のように見える)キャラが多いことから、私は最初、ラブコメかと思いました。ですが、少なくとも第1巻だけを読む限りでは恋愛色は薄いです。むしろ、古見さんを中心に、極端な個性の女子キャラたちをコミカルに描いたコメディという印象を私は受けるようになりました。


古見さんの「コミュ症」について


人とコミュニケーションがうまくとれないことを俗に「コミュ障」(コミュニケーション障害の略)と言いますが、この漫画では「コミュ症」という表記をとっています。これは、只野君が古見さんの状態をこう名付けたものです。

古見さんは「人と話すのが苦手」という台詞が物語の最序盤にあるのですが、苦手どころではない描かれ方がされています。満足に声が出せず、挨拶すらできないほどです。それでも無理に声を出そうとすると、身体が尋常でないほど震えることもあります。家庭でも、家族の前では無言です。ただし、周りに人がいないと少し話せます。

不安を極端に強く感じてしまう人で、1人でスタベ(スタバならぬ)に入るのにも、多大な勇気を要します。表情にも変化が乏しいです。

ただ、筆談によるコミュニケーションは可能です。教室に只野君と2人だけの状況で、黒板を埋め尽くすほどの筆談を交わす場面もあります。それに、意外に行動力があったりもします。


古見さんの「コミュ症」は緘黙に似ている


場面緘黙症Journal などというウェブサイトを運営する私が古見さんを見ると、全緘黙症とか、社交不安症(障害)といった用語を連想してしまいます。典型的な緘黙とは違うところも描かれてはいるものの、あそこまで不安が強くて声が出ないのは、緘黙に似ていると感じずにはいられません。


ただしこれは荒唐無稽なフィクション、あくまで「コミュ症」


ただ、古見さんは緘黙ではないかとか、社交不安症(障害)ではないかなどと、大真面目に議論することにどれほど意味があるのかは分かりません。だって、これはギャグ漫画ですから。友達が推定500万人いる同級生が登場するとか、そういう荒唐無稽な世界です。

古見さんの症状にしてもあくまで「コミュ症」であり、典型的な緘黙とは少し違う部分もあります。荒唐無稽なフィクションとして見た方がよいような気もしないではありません。


現実にこんな高校生がいたら、「コミュ症」と軽く片付けるべきでない


それでも、敢えて言うと、ここまで声が出ない高校生は現実にいます。そうした場合、単に「コミュ症」とか「コミュ障」などという言葉で軽く片付けて終わりにせず、緘黙や社交不安症(障害)、発達障害などの可能性も視野に入れるべきではないかと思います。本当は見えない障害を持った高校生かもしれないのです。

もし緘黙で、その症状が高校段階でこの漫画に似た程度にまで現れていると、これは厄介そうです。緘黙は大抵低年齢で発症するので、この年齢ともなるとかなり長期化している可能性が高いです。そうなると、緘黙症状が固定化して、治りにくくなっているかもしれません。また、これだけ長期化すると、たとえ話せるようになっても場合によっては後遺症や二次障害、続発症が生じ、成人後も何らかの困難を持ち続ける可能性もあります。

緘黙は当事者でない人からは軽く考えられがちですが、実際はかなり深刻な問題なのです。


身につまされる古見さんのこと


それにしても、私も学校で長年話せなかった者として、古見さんのことは身につまされます。「緘黙あるある」を思わせるネタも一部にあります。ネット上には、古見さんは可愛いという感想がよく見られるのですが、私には、自分たちのことが一般人視点で描かれているようにも思え、そんな感想はあまり持てません。

作品としてはコメディなので、古見さんの「コミュ症」がコミカルに描かれる部分もあるのですが、「コミュ症」をばかにして笑いをとっている印象は受けません。愛らしい個性のような描き方がなされていて、これには色々と考えるところがあります。

古見さんは何も話せなくて本当に大変だろうと思うのですが、只野君という理解者が得られ、また他の同級生も古見さんが話さないことを受け入れている(古見さんが美人すぎるから)ところは救いがあると感じます。

この少年漫画、男性の私は自然に読みましたが、緘黙の世界で多数派を占めると思われる女性が読むとどう感じるかは私には分かりません。冴えない男子高校生の「コミュ症」友達をわざわざ学校一の美少女に設定していることから、男のある種の願望を描いた漫画として、受け付けないという女性の方がいらっしゃるような気もしないでもありません。逆に、超イケメンだけど人と全く話せない男子高校生と、凡庸な女子高生の友情や恋愛を描く『古見君は、コミュ症です。』という少女漫画がもしあったら、私はとても読む気がしません……。



改正児童福祉法、緘黙支援への影響は?

2016年10月20日(木曜日)


平成28年(2016年)6月3日に改正された児童福祉法が、10月1日に一部施行されました。改正の大きなポイントは、児童虐待対策の強化だそうです。

↓ 電子政府の総合窓口 e-Gov 内「法令データ提供システム」へのリンクです。
◇ 児童福祉法 (新しいウィンドウで開く

↓ 厚生労働省ホームページへのリンクです。
◇ 児童福祉法の一部を改正する法律:新旧対照表 (新しいウィンドウで開く

↓ 厚生労働省ホームページへのリンクです。PDF(11.9KB)。
◇ 児童福祉法等の一部を改正する法律案の概要 (新しいウィンドウで開く

※ PDFを閲覧するには Acrobat Readerが必要です。Acrobat Readerはこちら (新しいウィンドウで開く)からダウンロードできます。

今回の改正は場面緘黙症とはあまり関係ないのだろうかと思ったのですが、気になる箇所もありました。といっても、私はこの道の専門家ではなく、あくまで素人視点による素朴に気になる箇所の話です。

児童相談所が増える?


まず、今回の改正により、児童相談所を中核市や特別区(東京23区)で設置できるよう、政府が必要な措置を講じることになりました。児童相談所は緘黙を扱っていますから、緘黙の相談窓口が増えることになるかもしれません。

附則 抄
第三条  政府は、この法律の施行後五年を目途として、地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の二十二第一項の中核市及び特別区が児童相談所を設置することができるよう、その設置に係る支援その他の必要な措置を講ずるものとする。

↓ 福祉新聞ホームページへのリンクです。
◇ 改正児童福祉法が成立 東京23区にも児相設置へ (新しいウィンドウで開く


児童の意見の尊重


それから、今回の法改正では、理念に関する部分である総則も改められました。

改正前

第一条 すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。

  すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。
 
第二条 国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。
 
第三条 前二条に規定するところは、児童の福祉を保障するための原理であり、この原理は、すべて児童に関する法令の施行にあたつて、常に尊重されなければならない。

改正後

第一条  全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのつとり、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する。

第二条  全て国民は、児童が良好な環境において生まれ、かつ、社会のあらゆる分野において、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない。

   児童の保護者は、児童を心身ともに健やかに育成することについて第一義的責任を負う。

   国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。

第三条  前二条に規定するところは、児童の福祉を保障するための原理であり、この原理は、すべて児童に関する法令の施行にあたつて、常に尊重されなければならない。

私は、第二条の「社会のあらゆる分野において、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され」という箇所が、気になっています。

私たちのことを、私たち抜きに決めないで」という記事の中で以前お話しましたが、イギリスでは緘黙の当事者や経験者の声を様々な分野で反映させようという動きがあります。ある緘黙の研究では「児童の権利に関する条約」第12条と第13条を根拠として経験者らのアンケート調査を行なっていましたが(Roe, 2014)、この条約の精神は、まさに改正児童福祉法が理念として掲げるものです。

↓ 日本ユニセフ協会ホームページへのリンクです。
※ 子どもの権利条約第9条~第16条 (新しいウィンドウで開く

同じような動きや主張は、日本でもわずかにですが確認しています。例えば、緘黙支援と関わりがある群馬大学の久田信行教授と、「かんもくの会」という団体の浜田貴照代表による論考では、当事者の意見を聴くことが重要になってきていると指摘されています(久田、浜田、2015)。また、近年では、緘黙の経験者への質問紙調査を行い、緘黙の症状克服に影響を与える要因を検討するという、これまでにない研究も出ています(奥村、園山、2014)。

児童の意見の尊重を掲げた今回の法改正は、こうした動きに何らかの影響を与えるのかどうか、気になっています。