10代など年長の緘黙児治療に、80ページ割いた外書

2017年03月29日(水曜日)

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イスラエルの場面緘黙症の本 The Selective Mutism Treatment Guide: Manuals for Parents Teachers and Therapists の第2版を読みました。最近出た本です。イスラエルの本といってもピンとこないかもしれませんが、著者はロンドンの大学で心理学を学んだ経験がある方で、初版は少なくともアメリカやイギリスでも読まれています。

この本は私には大変興味深かったです。というのも、年齢が上の子や10代の緘黙への認知行動療法に、かなりのページ数が割かれているからです。このような本、見たことがありません。私は専門家ではないので書評を書くことはできませんが、感想のようなものをここで書いてみたいと思います。

本の基本情報


書名を和訳すると、『場面緘黙症治療ガイド-親、教師、治療専門家へのマニュアル-』。表紙には 'still waters run deep' という諺が書かれてありますが、これは「深い川は静かに流れる」などと訳されます。『広辞苑』によると、「思慮深い人は無意味に騒ぎたてることなく、悠然と行動するというたとえ」だそうです。

著者はイスラエルの心理学者 Ruth Perednik (‏רות פרדניק‏) 氏です。本の裏表紙には、緘黙児の治療を20年にわたって専門にしてきたとあります。一方、Amazon.co.jp の説明には、子どもの不安症(不安障害)や緘黙を20年専門にしてきたとあります。緘黙治療のための市立?のクリニックと私立のクリニックを運営されているそうです。

イギリスのロンドンで生まれた方で、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンや、エルサレムのヘブライ大学などで心理学を学ばれたそうです。緘黙児の母親でもあります。

[追記(2017年3月30日)]

緘黙児の母親ではなく、「元」緘黙児の母親かもしれません。すみません。


今回の本にはヘブライ語版もあるそうですが、私が読んだのは英語版です。出版社は Oaklands、出版地はエルサレムです。2016年出版と本にはあります。Amazon.co.jp には、2016年12月1日とあります。

なお、初版は2011年に出版されていました。初版の著者、出版社、出版地は第2版と同じです。本の装丁もほぼ変わりませんが、本のサイズが第2版では若干大きくなっている上、ページ数が132ページから256ページへと、ほぼ倍増しています。


本の内容


本の内容は、親、教師、治療専門家が連携し、緘黙を治療する方法を示したものです。初版と同様、年齢が下の子には行動療法をとります。いわゆるスモールステップの取り組みをイメージしていただくとよいだろうと思います。緘黙児にスモールステップで発話の取り組みを行なうには、まず家庭から始めることが最も効果的というのが著者の持論で、この点も初版と変わりありません。一方、年齢が上の子や10代の子には、認知への介入の比重をより強めます。

本の基本的な構成は親向けマニュアル、教師向けマニュアル、治療専門家向けマニュアルを一つの本にまとめるという独特のもので、これも初版と変わりありません。

このように、著者の基本的な考え方は初版と変わりありません。特に、年齢が下の子への治療法の記述については、初版とあまり変わりません。

ですが、ページ数が倍増していることからも分かる通り、書き加えられた部分も多いです。初版との違いを挙ると、主に次の5点になるだろうと思います。

○ 治療専門家向けの内容として、年齢が上の子や10代向けの認知行動療法の章を新設
○ 本書の方法で実際に治療を行なった事例を紹介
○ 最初に家庭での取り組みが行なえない場合についての記述を新設
○ シャイな子や不安が強い子の養育について新たに記述
○ 治療に役立つ技術やアプリを新たに紹介

特に大きいのは、年齢が上の子や10代の子向けの認知行動療法の章が新設されたことです。このページは80ページに上り、全体の3分の1近くを占めます。





私たちは、重い緘黙ばかり見ている?

2017年03月22日(水曜日)

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緘黙団体会員の子どもの緘黙は、重い傾向がある?


130人の緘黙児を集めました。

アメリカの研究グループが行なった、ある場面緘黙症の研究の話です(Cohan et al., 2008)。130人とはよく集めたものですが、どうやってそんなに集めたのでしょう。それは、アメリカにある緘黙支援団体のニュースレターや、緘黙の研究治療センターの全国会議で、研究への参加募集の宣伝を行なったのです。

ただ、この方法には問題もはらんでいたようです。研究の限界の一つとして挙げられています。

第一に、緘黙の一般集団における有病率の低さとより多くのサンプルの必要性のために、参加者は緘黙支援組織のウェブサイトや緘黙治療センターが主催する全国会議から集められた。参加者としてこれらの子どもには、より重症のあるいは持続した緘黙症状があり、これにより、親が追加的な情報と支援を探し求めていたのかもしれない。

First, due to the low prevalence of SM in the general population and the need for a large sample, participants were recruited from an SM advocacy organization website and at national conferences hosted by an SM treatment center. It is possible that as a group these children exhibit a more severe or persistent form of SM, leading their parents to seek additional information and support.

私の訳が下手で分かりにくいのですが、つまり、緘黙支援団体に入会していたり、緘黙研究治療センターの全国会議に出席したりする親は、その子どもの緘黙が重かったり、長期化していたりする可能性があるということです。

子どもの緘黙が深刻だから、親がそれだけ熱心に活動しているのかもしれないという解釈です。

もしそうだとしたら、重症の緘黙や長期化した緘黙を中心に集めて、緘黙の研究を行なったことになってしまいます。これでは偏りが出てしまいます。


精神科医は、重症の緘黙児者を診る傾向がある?


似たような話は、他にもあります。精神科の話です(大村, 2006 p.250)。

精神科を訪れるケースはより重症で難治なタイプII、あるいはタイプIIIである割合が多いと考えられ、この食い違いが教育現場における選択緘黙のイメージと精神科の臨床におけるイメージとの違いを生んでいるように思われる。すなわち教育関係者は思春期を過ぎれば選択緘黙は自然軽快するものと思いがちであるのに対して、精神科医はアプローチが困難で治りにくい障害と捉えてどちらかといえば敬遠する向きがあるが、見ている対象が異なっているのであろう。

なるほど、精神科を訪れるともなると、重症の緘黙が多いのかもしれません。上の文章は、こうしたことが緘黙に対するイメージに影響を与える可能性についてまで触れられています。


疑問:ネットで見る当事者は、緘黙が長期化した人が多い?


さて、以下は私の素朴な疑問です。

幼稚園児や小学生の緘黙当事者が、Twitter で

「場面緘黙症を知ってほしいです」

と訴えているのを、私たちは見ることはありません。ブログや、最近では YouTube などでもそうです。小学生以下の子どもは、そういうのはあまりしないのでしょう。SNSの中には年齢制限を設けていて、そうした年齢の子は利用できないサービスもあります。

私たちがネット上で目にする当事者は、若くても中学生です。多くは幼児期に緘黙を発症し、それが中学以降になっても続いている人でしょう。思春期以降に緘黙を発症するのは珍しいです。

ここで、素朴な疑問を持つのです。緘黙児の中には、小学生の間に緘黙を克服してしまう子もいるかもしれません。もしかしたら、その方が多い可能性だってあります。そうだとしたら、私たちはネット上で、緘黙が特に長く続いた当事者ばかり目にしていることになります。


疑問:ネットで見る経験者は、緘黙が尾を引いている人が多い?


緘黙を既に克服した経験者についても、同じような疑問を持つことがあります。

ネット上で緘黙について発言している経験者は、過去に緘黙経験が長く続いたり、いわゆる後遺症を持っていたりと、緘黙が後の人生に尾を引いている人が多いのではないかという疑問です。

逆に、例えば小学校中学年までに緘黙を克服してしまい、現在は後遺症も何もなく社会人として元気に過ごしている人がいたとしたら、そうした人はネット上で緘黙についてそんなに積極的に発言したりはしないように思うのです。


根拠は無い


このようなことを考えると、緘黙支援団体の会員や精神科医が見ている緘黙児者や、ネット上でつながる当事者や経験者は、緘黙が重い傾向があるのではないかと思えてきます。

そうなると、案外、小学校教師あたりが緘黙当事者を偏り無く見ているのではないかとも思えてきます。ですが、小学校教師が見ているのは小学生の当事者のみで、中学生や高校生、大人の当事者を見ることはありません。中学、高校の教師についても同様です。

どちらにしろ、教師は、上記の人たちとは見ている対象が違います。このことにより、緘黙に対するイメージの違いが生まれているかもしれません。

とはいえ、これまで書いてきたことは、「かもしれない」「可能性がある」ことばかりです。根拠があるわけではありません。



緘黙児者は「サイレント・ユーザー」か

2017年03月15日(水曜日)

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「車椅子使用者」という表現と似ている?


「サイレント・ユーザー」(silent users)

Norman Hadley 氏というカナダの大学教授が、著書の中で、場面緘黙症がある人をこのように呼ぶ場面があったそうです(Hadley, 1994, p.xxi)。

この表現に対し、Tony Cline 氏というイギリスの大学教授が興味深いコメントを残しています。これは、身体の動作が制限されている人を「車椅子使用者」(wheelchair users)と呼ぶのに似ているというのです(Cline, 2015, pp.36-37)。

Tony Cline 氏によると、20世紀後半、障害がある人は自らの生活をコントロールする(または、コントロールするべき)主体であり、また、彼ら彼女らが直面する障害に対処することにおいて活動的な主体である(または、活動的な主体であるべき)という関心が高まったそうです。「車椅子使用者」「サイレント・ユーザー」はその影響を受けた表現だろうと述べています。

ただ、特に海外では、かつて緘黙児は自らの意思で話さないという誤った認識が強調された歴史があるようです。Tony Cline 氏は、「サイレント・ユーザー」という表現は、ある意味ではその頃に逆戻りするものであるとしています。しかし、この表現には緘黙への見方の重大な変化があるとも指摘しています。つまり、話さないことを非難する要素が取り除かれているというのです。


自立生活運動のことか


Tony Cline 氏の話にある、障害がある人は自らの生活をコントロールする……というくだりは、自立生活運動のことだろうかとも思うのですが、ちょっと自信がありません。「私たちのことを、私たち抜きで決めないで」のスローガンでも知られる運動です。


「うなずき/首降り使用者」「筆談使用者」「AACユーザー」とかならどうか


緘黙がある人は、何も沈黙を意図して使っているわけではありません。ですので、障害ある人は自らの生活をコントロールする主体であるとか、そういう意味合いで緘黙の人のことを「サイレント・ユーザー」と呼ぶのであれば、それはどうだろうと今のところ私は疑問に思っています。

ただ、例えば「うなずき/首降り使用者」「筆談使用者」なら、分からないまでもないような気がします。そういう非言語的な手段でコミュニケーションをとる緘黙児・者はいます。

ただ、これはあまり語呂がよくありません。特に、「うなずき/首降り使用者」は最悪です。そこで、少し専門的な言葉を使いますが、「AACユーザー」とか、「ノンテク AACユーザー」と言い換えてみてもよいかもしれないと思います。

AAC は Augmentative and Alternative Communication の略で、「拡大代替コミュニケーション」「補助代替コミュニケーション」と訳されます。AAC の国際団体のウェブサイトによると、「個人が日常のコミュニケーション上の困難を解決するために使う、一連の道具や手段」のことだそうです(Burkhart, n.d.)。中でも、身振り、手振り、表情などを使ったコミュニケーションは「ノンテク技法」と呼ばれます。

そもそも、車椅子使用者は、身体の動作の不自由を補う手段として車椅子を使用しています。「車椅子使用者」と似た表現にするのなら、緘黙児・者が話せないことを補う手段に注目して「AAC ユーザー」などとした方がよいのではないかと思います。


やっぱり駄目だろうなあ


ただ、緘黙がある人には、うなずきや首降りなどの非言語コミュニケーションすらとれない人もいます。また、非言語コミュニケーションを図るのは緘黙児・者だけではありません。

そういうわけで、「AAC ユーザー」などの表現も、どうだろうと我ながら疑問に思っています。

とはいえ、「サイレント・ユーザー」は、考えさせられる表現だと思い、紹介してみることにしました。