緘黙経験の記憶と解釈が、塗り替えられる

2017年03月08日(水曜日)

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経験者・当事者の「語り」


場面緘黙症の経験者・当事者の「語り」に注目する小さな流れがあるように感じています。このことについては、以前、「私たちのことを、私たち抜きで決めないで」という記事の中でもお話ししたことがあります。

前回お話しした最新のイギリスの緘黙支援マニュアルでも、経験者・当事者の語りを収録した小さな章がありました。緘黙が始まった年齢はいつか、話せなかった最も古い記憶はどういうものか、いつどのように自分が緘黙だと気づいたかなど、経験者・当事者に尋ねたものをまとめ、言語聴覚士である著者のコメントを添えた章です。


緘黙だった当時の感覚で語る


その中で興味深いと思ったのは、Rachel さんという33歳の経験者の話です。なんとこの方は、自分の緘黙を refuse to speak (発話の拒絶)という言葉で表現しています。

もちろん、緘黙は発話の拒絶ではありません。話そうにも声が出ないのです。このマニュアルの著者は、これはかつて周りの人が Rachel さんのことをそのように言っていたからではないかとコメントしています。

緘黙の本などを読んでその影響を色濃く受けると、緘黙を、発話の拒絶などと表現したりはしなくなるだろうと思います。これは Rachel さんの、おそらく緘黙の本を読んだりするようになる前の当時の感覚がそのまま語られているように思われ、興味深く感じました。


他の語りや専門家の見解が、私の緘黙経験の記憶と解釈に影響


語りといえば、私もかつて「緘黙ストーリー」と題し、自分が学校などで声が出ず、話せなかった頃のことをこのブログで連載していました。連載を始めたのは今を遡ること11年前の2006年で、2013年までの8年間にわたって続けていました。もっとも、私の場合、緘黙の診断は受けていません。

これを読み返してみたところ、今の自分にはこのようには書けないかもしれないと感じました。

それは第一に、私の緘黙?の記憶が、変わりつつあるような気がするからです。よく言う記憶の塗り替えが、私の身に置き始めているのです。

この記憶の塗り替えに影響を与えていると思われるのは、他の経験者・当事者の語りです。例えば、緘黙についての経験談には、苦しい思いをしたという話が多いです。それをたくさん読んでいるうちに、自分の緘黙?経験も苦しいことばかりであったように思われてくるのです。ですが、よくよく思い出してみると、私に限って言えば必ずしもそういう経験ばかりしたわけではありませんでした。危うく忘れかけていました。

第二に、私の緘黙?経験に対する解釈が変わってきているからです。これに影響を与えていると思われるのは、専門家です。例えば、私は子どもの頃親に厳しく育てられたという感覚を持っていて、それが学校で話せなかった原因に違いないとかつては考えていました。ですが、その後、本や論文などで緘黙の原因論について書かれたものを読んでいくうちに、そうした考えは後退していくとともに、記憶からも消え始めているように思います。


あまり影響を受けていない間に「緘黙ストーリー」始めてよかったかも


このように、私のもともとの緘黙経験の記憶や、それに対する解釈が、少しずつ失われ始めているように思います。そして、他の経験者・当事者の語りや、専門家の見解が、それに影響を与えているのではないかと思います。

それを思うと、まだ比較的影響を受けないうちに「緘黙ストーリー」を始めたのはよかったような気がします。

なお、緘黙の経験は多様です。私の「緘黙ストーリー」についても、今回の記憶と解釈の塗り替えの話についても、あくまで一例として読んでいただけるとありがたいです。