緘黙の当事者、経験者とは

2016年05月29日(日曜日)

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緘黙の当事者、経験者


私なりの解釈ですが、

場面緘黙症の当事者
→ 現在、緘黙がある人

場面緘黙症の経験者
→ 過去に緘黙を経験した人

場面緘黙症の「当事者」や「経験者」といった言い方が、前から気になっていました。私自身、この言い方をよく使うからでもあります。特に、「緘黙の当事者や経験者」といった、両者を並べた言い回しは目にすることが多いです。

緘黙の「当事者」「経験者」とはいったい何なのでしょうか。その意味するところは、人によって多少違うことがあるようです。全てまとめて「当事者」とすることもあります。また、経験者については「サバイバー」という言い方をする人を見たこともあります。ですが、大体は冒頭の通りではないかと思います。

では、現在緘黙ではないけれども、いわゆる「後遺症」を持っている人は当事者なのでしょうか、それとも経験者なのでしょうか。これは難しいところではないかと思いますが、私なら経験者とします。

緘黙の当事者、経験者という言葉が生まれた背景


昔は、緘黙の当事者や経験者ということはあまり言われなかったのではないかと思います。

インターネットの時代になって、緘黙がある人や、緘黙を経験した人がたくさんネット上に現れ、当事者や経験者がたくさん存在することが目に見えて分かるようになったことにより、こうした言葉が生まれたのではないかと思います。

緘黙の当事者、経験者はどういった人たちか


緘黙の当事者や経験者は、どういう人たちなのでしょうか。

当事者


支援が必要とされる人たちです。経験者に比べると、平均年齢は低いものと考えられます。年齢の偏りも大きく、子どもや若い人が中心でしょう。その低い年齢層から、インターネット上で情報を発信されていない人も多いものと思われます(特に、幼稚園~小学生あたり)。

今現在緘黙である上、年齢が低い人が多いため、例えば、緘黙について社会の理解が欲しいなど、何かを訴えることは簡単ではない人が少なくなさそうです。

経験者


経験者の平均年齢は、当事者に比べると高いものと考えられます。また、年齢の偏りは当事者に比べると小さく、小学生にして緘黙を克服したという人から、現在中高年(中高生ではなく、中高年です)という人もいそうです。今は親で、子どもが緘黙という人もいます。

緘黙の経験者の数は、当事者のそれよりも多いでしょう。緘黙になった人は昔からいるわけで、その数を累計すると、現在緘黙がある当事者の比ではないはずです。ただ、その全てが「場面緘黙症」をご存じであるわけではありません。

現在緘黙がある人に自分たちのような苦しい経験はしてほしくないという思いからか、現在も後遺症があるからか、今なお緘黙について情報発信をしている人がたくさんいます。その一方で、緘黙だった過去は忘れたいと考え、緘黙と距離を置く方もいらっしゃると聞いています。

経験者の声は、当事者のそれを代弁している一面があります。ただ、かなり厳密なことを言うと、経験者は当事者自身ではありません。また、現在緘黙のある方が直面している状況と、かつて緘黙だった人が置かれていた状況には多少違いがあります。どちらにしろ、当事者が声を発信することは難しいため、当事者の代弁という経験者の役割は重要でしょう。


なんだか、当たり前のことを書いた記事になってしまいました。ですが、誰も書いていない当たり前のことを文章化することも、時には意味があるような気もします。

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