富氏、場面緘黙症?になる

2006年08月08日(火曜日)

連続ブログ小説・私の緘黙ストーリーです。前回の話は「こちら」

* * * * * * * * * *

転校先の学校では、私は以前の学校のように話すことができませんでした。

そして、このときをきっかけに、学校で緘黙してしまうというスタイルが何ヶ月、いや何年も続くことになってしまいました。私の場面緘黙人生の始まりです。

■ なぜ話せなくなったのか

転校間もない頃のかすかな記憶をひもといてみると、

  • 転校の緊張
  • 馴染めないクラスの雰囲気
  • いじめ
これらによってひどく萎縮してしまい、話すことができなくなったのではないかと思います。

■ クラスの雰囲気に飲まれた?

転校間もない頃、前の学校とはまるで違う雰囲気にかなり戸惑ったことを覚えています。私の目から見て荒っぽい感じの人がとても多く、気の小さい私はとても馴染むことができませんでした。

荒っぽいということとの関連で、名前を呼び捨てにされたことが子ども心ながらに大変ショックでした。前の学校では呼び捨て禁止が厳しく指導されていたのです。大人からすれば「なあんだ、その程度のこと」という些細なことかもしれませんが、当時の私には天地がひっくり返るほどの大ショックでした。

■ ひどくいじめられた

それから、このとき、かなりいじめられました。このときは、学校で話せないことよりも、いじめに悩んでいました。

いじめは前の学校でもあったことなので、ある程度覚悟はしていましたが、このときは少しひどかったです。クラス中の子どもたちからいじめを受けました。私は小4にもなるのに毎日のように泣いていました。

といっても、いじめられたから緘黙になったのか、緘黙になったからいじめられたのか、よく覚えていません。ただ、これによって学校ではひどく萎縮してしまい、思うように振舞うことができなかったことは間違いありません。

ここまで書いて、私はひきこもりデイケアで知り合ったある女性を思い出しました。彼女はもう30歳ほどになるのに、いまだに「私は学校というところが大嫌いだ」と執念深いのです。その女性が学校嫌いになるきっかけも転校先でクラスメイトにいじめられたことだったといいます。曰く、

このあたりは閉鎖的な土地柄だから、転校生というと、ものすごく変な目で見られる。

このあたりの地域の転校生がみんないじめられているわけではありませんが、閉鎖的な土地柄とはよく言われるところです。
* * * * * * * * * *

■ 先生は

このように、転校先の学校は、私にとってこれまでになく居心地の悪い場所でした。学校にいるとなんだか重苦しくて、押しつぶされそうな気持ちになりました。耐えられなくて、泣きながら担任のN先生に助けを求めたことも何度かありました。

それに対する先生の反応は、「もっとしっかりしなさい!」と私を叱りつけるというものでした。

先生は私をちゃんとクラスメイトとして扱ってくださいましたし、私に対して特別に不利益を与えるようなことはありませんでしたが、いじめられたり泣いたりした私に対しては厳しかったです。

このN先生ですが、クラスの子どもたちに日記を書かせて提出させていました。私も日記を書くことになったのですが、日記では自分の思うことを自由に書くことができました。学校では話せなかったのですが、筆談はできたようです。

■ その他

その他、
  • これまで自由服だったのに制服になったこと
  • 学校までの道のりが従来に比べて少し遠くなったこと
  • 隣の隣の家に住んでいたOさんの娘さんはクラスが別だったこと
  • 方言に戸惑ったこと
といったこともありましたが、私にとっては些細なことでした。

余談ですが、この地域の方言を話すことには当時から強い抵抗を感じました。私はこの都市に長い間住みつくことになるのですが、今でもこの地方の方言には心理的な抵抗があって使うことができません。小4のときに私をいじめた、あの嫌なクラスメイトたちが使っていた言葉…という意識をいまだにひきずっている格好です。前の地方では方言に馴染んでいたのですけれども。

とにかく、毎日の学校生活が苦痛で仕方がありませんでした。苦行のような忍従の日々の始まりでした。

(つづく)

人気blogランキングへ [続きの記事] ◆ 場面緘黙児・富氏の友達M君