富氏、場面緘黙症?になる
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連続ブログ小説・私の緘黙ストーリーです。前回の話は「こちら」。
* * * * * * * * * *
転校先の学校では、私は以前の学校のように話すことができませんでした。
そして、このときをきっかけに、学校で緘黙してしまうというスタイルが何ヶ月、いや何年も続くことになってしまいました。私の場面緘黙人生の始まりです。
■ なぜ話せなくなったのか
転校間もない頃のかすかな記憶をひもといてみると、
- 転校の緊張
- 馴染めないクラスの雰囲気
- いじめ
■ クラスの雰囲気に飲まれた?
転校間もない頃、前の学校とはまるで違う雰囲気にかなり戸惑ったことを覚えています。私の目から見て荒っぽい感じの人がとても多く、気の小さい私はとても馴染むことができませんでした。
荒っぽいということとの関連で、名前を呼び捨てにされたことが子ども心ながらに大変ショックでした。前の学校では呼び捨て禁止が厳しく指導されていたのです。大人からすれば「なあんだ、その程度のこと」という些細なことかもしれませんが、当時の私には天地がひっくり返るほどの大ショックでした。
■ ひどくいじめられた
それから、このとき、かなりいじめられました。このときは、学校で話せないことよりも、いじめに悩んでいました。
いじめは前の学校でもあったことなので、ある程度覚悟はしていましたが、このときは少しひどかったです。クラス中の子どもたちからいじめを受けました。私は小4にもなるのに毎日のように泣いていました。
といっても、いじめられたから緘黙になったのか、緘黙になったからいじめられたのか、よく覚えていません。ただ、これによって学校ではひどく萎縮してしまい、思うように振舞うことができなかったことは間違いありません。
ここまで書いて、私はひきこもりデイケアで知り合ったある女性を思い出しました。彼女はもう30歳ほどになるのに、いまだに「私は学校というところが大嫌いだ」と執念深いのです。その女性が学校嫌いになるきっかけも転校先でクラスメイトにいじめられたことだったといいます。曰く、
このあたりは閉鎖的な土地柄だから、転校生というと、ものすごく変な目で見られる。
このあたりの地域の転校生がみんないじめられているわけではありませんが、閉鎖的な土地柄とはよく言われるところです。
* * * * * * * * * *
■ 先生は
このように、転校先の学校は、私にとってこれまでになく居心地の悪い場所でした。学校にいるとなんだか重苦しくて、押しつぶされそうな気持ちになりました。耐えられなくて、泣きながら担任のN先生に助けを求めたことも何度かありました。
それに対する先生の反応は、「もっとしっかりしなさい!」と私を叱りつけるというものでした。
先生は私をちゃんとクラスメイトとして扱ってくださいましたし、私に対して特別に不利益を与えるようなことはありませんでしたが、いじめられたり泣いたりした私に対しては厳しかったです。
このN先生ですが、クラスの子どもたちに日記を書かせて提出させていました。私も日記を書くことになったのですが、日記では自分の思うことを自由に書くことができました。学校では話せなかったのですが、筆談はできたようです。
■ その他
その他、
- これまで自由服だったのに制服になったこと
- 学校までの道のりが従来に比べて少し遠くなったこと
- 隣の隣の家に住んでいたOさんの娘さんはクラスが別だったこと
- 方言に戸惑ったこと
余談ですが、この地域の方言を話すことには当時から強い抵抗を感じました。私はこの都市に長い間住みつくことになるのですが、今でもこの地方の方言には心理的な抵抗があって使うことができません。小4のときに私をいじめた、あの嫌なクラスメイトたちが使っていた言葉…という意識をいまだにひきずっている格好です。前の地方では方言に馴染んでいたのですけれども。
とにかく、毎日の学校生活が苦痛で仕方がありませんでした。苦行のような忍従の日々の始まりでした。
(つづく)
人気blogランキングへ [続きの記事] ◆ 場面緘黙児・富氏の友達M君
- [2006/08/08 15:20]
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コメント
担任の教師
その担任の教師
いやなやつですね。
「もっとしっかりしなさい!」
と言われて
わかりました もっとしっかりします。
と言って自分で何とかできる人っているんでしょうか?
もっとしっかりしなさいと言うことによって
いじめの問題が解決したかどうか確認はしたんでしょうか?
こういう人に
資料No.2 先生方に場面緘黙症を理解していただくために
を渡したらどういう反応するんでしょう?
まあ 渡さないよりはいいかもしれないけど
あまり期待できそうに無いですね。
コメントありがとうございます。
先生が言いたかったことは、いじめや新しい環境への不適応は大人の世界でもあるし、社会に出るともっと苦しいことがたくさんあるから、こういうことでへこたれるような弱さではだめだ…ということだったと思います。
学校で話せず、思うように振舞えなかった私にとって、クラス中の子どもたちからいじめられてはどうしようもなく、結局このいじめの問題は解決しないまま終わりました。
いろいろ思い出してしまいました
つらい学校生活でしたね。
うちの子もよくいじめられる子でした。小学校1、2年生のときの担任の先生がやはり厳しい先生で、いじめっ子の指導をお願いすると「そういったトラブルは子供同士ではありがちなことで、○○君が乗り越えていかなければならないこと」と言うばかりで、弱い子が変わるべきという態度を変えませんでした。
学校の先生と生徒にも相性があって、弱い子をきらうタイプの先生に当たると大変です。そういう感じやすい子が一番、担任の先生次第でよくもなるし、悪くもなるのに・・・。
1年生の1学期、他のみんなと同じように動けない、取りかかりが遅い、自分の名前を書かない、日直当番の際にいくら待っても話そうとしない・・・などなど、いろいろ困ったことが起こっていたようです。担任の先生との初めての面談の際、「こんな子は見たことがありません。お母さんがなんでもやってあげているのではないですか?家庭で自分のことは自分でやるようしつけてもらわないと困ります。」と先生に一方的に言われ、ずいぶん情けない思いをしました。
それでも、3年生のときには担任も変わり、学校にも慣れたようで、普通に話もしていたし、親友と言える子もできて、笑顔で友達とふざけあう姿も見られました。そんな時、主人の転勤が決まりました。1年生の頃は「この子は転勤生活には耐えてゆけない」とよく主人と話していたものですが、3年生になってからは「学校に行きたくない。」ということもなくなっていました。経済的な理由からも転校するしかありませんでした。
3年の2学期に引っ越し、それから息子の緘黙・緘動が始まりました。
今となっては結果論でしかありませんが、うちの子は転校させてはいけない子でした。
みちさん、コメントありがとうございます。
子どもに何か問題があると、厳しい人に限って、家庭でのしつけが足りなかったから、親が甘やかしたから、などと判断しがちです。しかし、そうした子どもは何らかの障害を抱えている可能性もあり、慎重に判断されなければならないと思います。その先生も情緒障害等、しつけ以外の原因を疑っていただきたかったものです。
私の場合、先生だけでなく、母親も同じ立場でした。私がいじめについて母に相談すると、お前が弱いから悪いんだというような言われ方をされました。当時の私は、母に何を話しても無駄なのではとがっかりさせられたものです。
息子さんのお話、私も小学校中学年での引越しが引き金となって緘黙になりましたから、身につまされます。
2つの気持ち
子育ての本などを読むと、「子供をありのままに受け入れ、愛することが大事」ともっともらしいことが書いてあるけれど、日常的に次々と困ったことばかり起こると、そう簡単に「ありのままに」ともいかなくなります。
息子は人見知りが激しくて機嫌が悪くかんしゃくを起こしやすい子でしたが、言葉の遅れはなく、文字を読み始めるのが驚くほど早かったりもしたので、障害に近いものをもって生まれたとは考えてもみませんでした。ですから、なにかうまくいかないことがあれば、全て育て方に原因があると思い込んでいたのです。私も苦しみました。
息子の緘黙がなければ、検査を受けることもなく、私はいまだに自分を責め続けていたと思います。診断名が出てショックもありましたが、「養育環境だとか育て方などに起因するのではない」と断言してもらって、長年の苦しみから解放された安心感のほうが大きかったかもしれません。
息子も、場面緘黙になることなく地を出し続けていたら、いまだにいじめられていたと思います。(家庭内では自己チュウで、困ったやつです。)しゃべらず、自分を出さないことで学校生活に適応しているのだと思います。
だから、私の中には「転校がなければ息子は場面緘黙にならなかったのに」と後悔する気持ちと、「息子の緘黙に救われた」という相反する2つの気持ちがあります。
みちさん、コメントありがとうございます。
なるほど、障害とか、そこまで疑うのは簡単ではないのかもしれません。ただ、子どもを育てるプロである小学校の先生には、児童のことを正確に理解していただきたいものです。誤った理解にもとづいた指導がなされるのは問題です。
>だから、私の中には「転校がなければ息子は場面緘黙にならなかったのに」と後悔する気持ちと、「息子の緘黙に救われた」という相反する2つの気持ちがあります。
考えさせられます。私も以前、「場面緘黙症になって得したこと?」という記事を書きましたが、場面緘黙症を経験したけれども悪いことばかりではなかったと思うと、自分の緘黙症人生を肯定したい気持ちにも時にはなります。ただ、私の場合、総じて考えると緘黙症になったがゆえのマイナス面の方が目立ちます。
子供を育てるプロ??
学校の先生って、子供を育てるプロではないです。小学校教員養成課程である程度児童心理の勉強をする方もいらっしゃいますが、大部分の方は形だけで、子育ての経験のない先生は全くの素人です。子育て経験のある方でも、自分の子供が何の問題もなく優秀な子だったりすると、かえってたちが悪いです。
「お勉強を教えるプロでしかないのだから、いっそ他人の子供のしつけにまで口出しをしないでほしい」と怒っているお母さんも以前いらっしゃいました。
相性の悪い先生に当たってしまったら、最終的には親が子供を守るしかありません。何を言われようとも、いちいち傷ついてなどおれません。「母は強くなければやっていけない。」とつくづく思います。
先生に協力してもらう為に
私の上の娘が小学校へ入学したのは、引っ越して3.4日目でした。後で知ったのですが、とても評判の悪い先生で、でもうちの子にはとてもやさしかった。。。よくしてもらいました。
とてもおとなしい娘でしかも閉鎖的な町に引っ越して、
方言もきつく娘にとってはみんなおこってしゃべってる、ように聞こえたそうです。(よく緘黙にならなかったよ)
友達も当然いないので、頼れるのは先生しかいません。
とにかくこの先生に私も子供も好かれようと色々努力しました。最初の家庭訪問では順番を最後にしてもらって、先生の2歳のお子さんに当時はやっただんご3兄弟のパンを作ってあげたなあ。。。あと先生手作りの学級便りには感想を伝えるなど連絡帳も頻繁に使ってました。娘が足を骨折したときは、松葉杖は危ないからとご自分から毎日娘をおぶってくれました。階段や女子トイレまで、、、(先生は男です)この話をすると、みんな「ええ!!あの先生が!!うそやん!!」と驚かれます。
こちらが大好きですよ!という気持ちを伝えることができたら、じゃあ、この人のためにやってあげようかな?助けたいな、と思うのが人間だと思います。
人を動かせるのは最後は人の力だと思いたいです。って、いつもえらそーにごめんなさい。
OZUさん、失礼いたしました。
ただ、私が申し上げたかったのは、小学校の、特に低学年の教師は、勉強はもちろん、情操教育や人間形成、子どもの心身の健康問題などを含めて、子どもを育てる役割を担ったプロではないかということです。小学校は学習塾ではないわけですから、何も勉強だけを教える場ではないと思うのです。
私は小学校の先生には、勉強以外にも多くのことを学びました。ただ、先生が言うことと親が言うことが時々対立し、子どもとしてはどちらの言うことを聞けばいいのだろうかと迷うこともありました。
ははさん、コメントありがとうございます。
先生にしてみれば、私をしかりつけたのは、愛情のつもりだったのでしょう。
それにしても、ははさんの上の娘さんの引越しの経験が私のものと似ていて、身につまされます。
ははさん、富氏さんへ
ははさん、「人を動かせるのは最後は人の力!!」そうですよね!私もそう思います。
先生にはプロであってほしいのですが、残念ながら実際にはそうでない場合もあります。その場合、親は先生と上手につきあって、味方になってもらい、学んでもらわなければなりません。相手に変わってもらいたければ、自分の態度を変えるしかありませんよね。
私もあきらめるわけにはいかなかったので、先生には常に感謝の気持ちを伝えながら、密に連絡を取り合いました。どうしても母親から離れられない日があって、うちの子も先生におんぶしていただいたことがあります。1回きりですが、その後、「学校に行きたくない」と言わなくなりました。
どの生徒にも厳しい先生でしたが、熱心な、いわゆる「力のある先生」で、息子に自信をつけさせるため、いろいろなことをして下さいました。「他の子が簡単にできることでも、○○君はすごく頑張らないとダメなんですね。ひとつひとつハードルを乗り越えていけるよう、指導していきたいと思います。」と言ってくださいました。
今思えば、1年生で緘黙にならなかったのは、その先生のおかげだったかもしれません。
富氏さん、「先生の言うことと対立した」とはどんなことですか。親としては興味があります。
色んなアドバイスをする大人が…
これは場面緘黙症とは関係ない内容なのですが…
例えば、学校側から「呼び捨て禁止」を厳しく指導されていたのですが、親はそれを否定的に見ていたり…ある先生からは「テレビには有害な番組が多いから、あまり見るな」と言われたのに、親はそう考えていなかったり…学校から髪型のことで指導されても、親は「学校の言いなりになんてなってたまるか」として、床屋代を渡してくれなかったり…(これは中学高校の話ですが)
その他、はっきりとした具体例はなかなか思い出せませんが、学校側の教育方針と親のそれとがすれ違うことが時々ありました。私はどちらかと言えば、親よりも学校側に従うことが多かったです。
学校と親にとどまらず、世の中には様々なアドバイスをする大人がいて、子どもの私は戸惑ったものです。親戚の中には「学校の勉強なんてするな」と極論する人もいましたが、親や学校の考え方とは違ったので、少し悩んだものです。
気をつけなくちゃ・・・
ところで、転校してからのことを書こうと思います。
3年生の夏休みに引っ越し、近所の子供たちみんなと外で元気に遊ぶ毎日でした。家の周りではとても楽しく遊んでいたので全然気付かずにいたのですが、2学期が始まって2ヶ月ほど経って、担任の先生に「学校で固まっている」ことを告げられました。しゃべらず、動かず、先生の質問にうなずいたり首を振ったりすることすらできずにいることを知りました。
先生は、優等生で世話好きな女の子を隣の席にし、何かと面倒を見てくれるよう頼みました。その後、「学校に行きたくない。」が始まりました。なんとか訳を聞き出したところ、その女の子が、「バカ!」「遅いから早くして!」と言ったり、先生にばれないようにたたく、あざができるくらいつねる、肘鉄をくらわせるなどを毎日繰り返しているとのことでした。そして時々、「先生にもお母さんにも言わないでね。」と言うのだそうです。息子はなんとそんなことをされながら、1ヶ月も何も言わずに我慢していたのでした。その女の子はこうも言ったそうです。「ちゃんと話さない子が以前いた。だからいじめられた。ちゃんと話さない子はいじめられる。でもその子はちゃんと話をするようになったから、今はもういじめられなくなった。」と。
席替えをしてもらったりしましたが、また別の子から似たようなことをされました。その度に席替えをしてもらったりしてましたが、いじめはなくなりませんでした。先生はうちの子にはやさしかったのですが、他の生徒にはどちらかというと日常の些細なことで厳しい先生で、子供たちは先生の真似をしていたのかもしれません。
それでも、授業中の発表など、少しずつ小さな声でできるようになっていきました。最近になってその頃を振り返って「本当はすごくいやだった。先生に無理やりしゃべらされた。」と息子は言っています。
しばらく転勤はないだろうと思っていましたが、1年3ヶ月後に辞令が出て、地元に帰る形になりました。息子は「この学校には一人も友達がいないから、転校してもいいよ。」とあっさりしたものでした。そして「新しい学校では絶対にしゃべるからね!」と張り切っていました。
みちさん、コメントありがとうございます。
特にある程度の年齢になると、様々な大人の意見を聞くことで、視野が広まります。親戚が「学校の勉強なんてするな」と言ったのも、当時の詰め込み型の学校教育を批判したもので、現在自分が受けている教育には、こういう批判もあるのだと考えさせられました。中学時代のある担任の先生は体罰は必要という考え方で、実際に私も体罰を受けていたのですが、それに反対する保護者の方もいらっしゃって、体罰の是非について考えるよい機会になったものです。
息子さんは、2度目の転校だったんですね。1年3ヶ月後ということは、小4の2学期いっぱいあたりでの転校ということになるのでしょうか。
しかし、ひどいいじめでしたね。先生が面倒を見るように頼んだ女の子が、そんなことをするとは。「先生にもお母さんにも言わないでね」というのは、そのいじめっ子の女の子の言葉でしょうか。いじめっ子の常套句ですね。何度も席替えをしてもいじめがなくならないとは、本当にひどい話です。
>「新しい学校では絶対にしゃべるからね!」
その息子さんの気持ち、よく分かります。後にブログで書きますが、私も小学生のときに2回転校しています。2度目の転校のときは、お子さんと同じように、次の学校ではちゃんとしゃべるんだ、と考えていたものです。悪いことに、その転校がきっかけで緘黙症が悪化してしまいました。みちさんの息子さんが転校先でどうなったのかが、気になります。
2度目の転校
転校初日、転校生は、たった一人、初対面のクラスメートの前で自己紹介をさせられます。(この学校の場合、全校生徒の前でないだけましでしたが。)先生にちょっと助けてもらいながら自己紹介はなんとかこなしましたが、翌日から発声できなくなりました。「自己紹介の時ににやにや笑った子がいたことがショックでしゃべれなくなった」と、息子は言っています。その頃私に少しでも場面緘黙症の知識があれば、そんなことをさせないよう先生にお願いすることができたのに、と悔やまれます。
クラスにもう一人しゃべらない生徒がいたこともあり、担任の先生は場面緘黙症の知識のある先生でした。「話さなくていい状況を確保する」のが最も必要なことであるという考えで、学校では発声することを促されることのないまま1年以上過ごしました。
笑顔も見られるようになった5年生の2学期頃から、担任の先生は、質問をして答えられない場合は5秒間だけ待つという「5秒ルール」というのを作りました。5秒間待って無言の場合は、「じゃあまたこの次ね。」と声をかけ、軽く流します。先生の根気よい指導により、授業中の先生の質問にだけ少しずつ答えられるようになりました。
そのクラスには、他にもちょっとしたハンディキャップをもつ生徒が何人かいました。なにかトラブルが起こる度に担任の先生がきちっと指導してくれましたので、いじめは長引くことはありませんでした。「人権教育」が徹底されているクラスでした。「学校は誰にとっても楽しいところでなければおかしい。先生が守ってやるから、安心して学校にくるように。」と先生が言ってくれたことが、心に残っています。
みちさんへ
小1緘黙児のははです。よろしくおねがいします。
今、自分の子供向けに簡単な絵本というか紙芝居みたいなものを考えているんですが、できれば、息子のクラスメートにも読んでもらえるものにしたいなあ、と考えてます。以前「あって言ってみて」攻撃がすごかったので、1年生に緘黙のことを変に意識せずにわかってもらいたいなあ、と思ってます。でもこれは逆効果に働くと困るので、とりあえず自分の息子用に作ろうかなあ。。。お話作りに自信がないんです。絵はなんとか描けますが、お話が、、、。
みちさんの「学校は誰にとっても楽しいところでなければおかしい。先生が守ってやるから、安心して学校にくるように。」の言葉とてもいいですね。
絵本にその言葉使いたいなって思いました。
場面緘黙症!?
紙芝居、おもしろそうですね。先生の言葉、是非使ってください。紙芝居が完成したら内容を紹介してくださいね。
うちの子のその後ですが・・・4、5、6年と担任の先生が変わらず、クラスメートにも恵まれ、6年生になる頃にはすっかり打ち解けて、学校生活を楽しめるくらいになっていました。原稿のあるものは長いものでも、教室や学年全体での発表などもこなせるようになりました。
それでも、クラスメートとの日常の会話では一言も発しようとはしません。顔で笑っていても笑い声さえもらしませんでした。担任の先生は、おそらく最初から場面緘黙症だとわかっていたのだと思いますが、親に対してその言葉を使うことにはさすがに慎重だったようです。
私はその頃、子供がしゃべりたくないからしゃべらないのだろうと思っていました。今までも新しい環境に慣れるのに2年くらいはかかっていたから、十分慣れたら話し出すのだろうと気楽に考えていました。ある日、「そろそろ、仲のよいお友達とはしゃべったほうがいいんじゃない?」と息子にいうと「ぼくはしゃべりたくなくてしゃべらないんじゃないよ。しゃべりたくても、しゃべれないんだよ。」という答が返ってきました。びっくりして先生に相談すると、場面緘黙症ではないかと言われました。
その後、検査を受け、予想もしない診断名を告げられることになりました。(それは掲示板のほうで紹介しましたので省略します。)
知識のある先生で、よかったです
お子さんが場面緘黙症であることを保護者に告げるべきかどうかは、難しいところかもしれません。(おそらく)経験者の立場から言うと、もし担任の先生が場面緘黙症をご存知だったとしたら、正しく伝えていただきたかったところです。間違った理解をされるよりも、正しい理解をされた方が助かります。ただ、もし私が教師の立場なら、保護者への宣告は場合によっては控えたかもしれません。
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