大人の緘黙当事者、非言語コミュニケーションで生きる(スイス)

2017年07月25日(火曜日)

アイキャッチ画像。

スイス最大の日刊紙に掲載


スイス最大の日刊紙が、成人の場面緘黙症当事者を正面から取り上げていたことを知りました。2016年12月24日のことです(電子版で確認)。

↓ Tages-Anzeiger (『ターゲス・アンツァイガー』)電子版へのリンクです。ドイツ語。
◇ Ich kann nicht sprechen – ich bin Mutist (新しいウィンドウで開く


非言語コミュニケーションはとれる成人当事者の例


記事で取り上げられたのは、27歳の男性当事者です。緘黙は幼稚園入園時から続いています。

この男性は言語コミュニケーションはとれないのですが、非言語コミュニケーションをとることができます。目の前の記者にも、スマートフォンの文字入力アプリやジェスチャーを通じてコミュニケーションをとっています。

また、上の記事のページには動画もあるのですが、これを見る限り表情も豊かで、緘黙でない人と比べても差がなさそうなほどです。

緘黙児者の中は、非言語コミュニケーションも満足にとれなかったり、表情が乏しかったりする人もいるのですが、この男性はそこまでではありません。

この男性はセラピストのもとに通っていて、緘黙克服はまだ途上です。一方、写真家としての仕事を始めていて、話さなくてもジェスチャーを使うなどしてこなしているようです。電話ができないので、この方のウェブサイトには電話番号を載せていないとか。話さなくても仕事がこなせるのであれば、社会適応はある程度できていると見ることもできそうです。


20代後半にまで緘黙が続くと、治るのに時間がかかりそう


成人期の緘黙は研究がとりわけ進んでいない上、私は専門家ではないのでよく分からないのですが、20代後半にまで緘黙が続くと、緘黙を治すのには時間がかかりそうです(ただし、治らないとまでは思いません)。

記事にも、男性は緘黙がアイデンティティの一部になってしまい、アイデンティティを変えるのは長い道のりだという意味のことが書かれてあります。話さない状況が持続すると起こり得る問題として「緘黙identity」という造語を荒木冨士夫氏が1979年に用いていますが、それを連想させる記述です(荒木, 1979)。

このように治りにくいとなると、緘黙を治すことはもちろんですが、同時に、緘黙でありながら社会適応を図るという福祉的な視点がますます重要になってくるのではないかと思います。このスイスの男性の例はその点、一つのモデルになるかもしれません(もっとも、このように上手くは、なかなかいかないかもしれませんが)。


非言語コミュニケーションで一定の社会適応、だが……


ただ、気になる点があります。私はこの男性にお会いしたことがないのでいい加減なお話になるのですが、非言語コミュニケーションが上手すぎるように思います。あくまでこの男性の場合ですが、ある程度非言語コミュニケーションがとれるようになっても、何らかの原因で言語コミュニケーションに移行できず、非言語コミュニケーションばかりが発達してしまったなんてことはないだろうかと思います。そのため、発話の回避行動が維持・強化され、緘黙が長期化してしまった可能性を考えてしまいます。

話さなくても非言語コミュニケーションで社会適応というのもよいですが、緘黙は治せるなら治した方がよいとも思います。非言語のみのコミュニケーションには限界があるでしょうし、不安症である緘黙が持続すると他の精神疾患を続発する可能性も指摘されています。ですが、大人の緘黙は治りにくそうですし、このあたり難しいです。