場面緘黙児・富氏といじめ
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連続ブログ小説・私の緘黙ストーリーです。前回の話は「こちら」。緘黙ストーリーの目次をご覧になりたい方は「こちら」。
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2学期に入りましたが、私は相変わらず学校でクラス中の子どもたちからいじめられ続け、毎日のように泣いていました。
家庭では、入院していた父の病状が悪化します。
■ いじめのことで、親戚?が先生に対応を求めた記録
当時の私の『連絡帳』に、誰かが先生宛てに、こんなことを書いた記録が残っています。
○ 傘が2本なくなりました。
○ 毎日クラスの人がたたくそうです。クラス以外の人もたたくそうです。
筆跡を見ると、母のものではないような気がします。おそらく、ご厄介になっていた親戚の人が母に代わって書いたものと思われます。
内容は、いじめに対して何らかの対応を暗に先生に求める内容にとれます。
奇妙なことに、この伝達にだけ、先生のいつもの「読みました」という確認のはんこが押されてありません。先生のコメントもありません。先生はこのとき、どういう対応をされたのでしょうか。
いずれにせよ、上で書かれている内容は、私が受けていたいじめの氷山の一角、いや一片にすぎません。
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■ いじめっ子たち
私をいじめていたのはクラス中の子どもたち(クラスの7〜8割ぐらい)で、他のクラスの子も加わることもありました。よってたかっていじめられる、といったところです。中でもしつこくネチネチいじめていたのは、O君と、?さん(名前忘れた)でした。
特にO君には悩まされました。彼は、分かりやすく言えば、ジャイアンよりもスネ夫に近いタイプの子でした。彼はいじめられっ子の心理をよく理解していて、いかに効果的にいじめ、自分の都合のいいように利用し、そして先生に見つからないようにするかをよく心得ていました。弱い子をいじめ慣れているようでした。
彼と同じクラスになったのはこの小4のときだけでしたが、何の因果か、私は彼と中学・高校と同じ学校に進学することになりました。中学・高校生になっても、彼の人となりは相変わらずだったようです。大学受験のときに、彼が医学部を志望しているという聞いたときは、悪い冗談かと思いました。

※ Amazon.co.jp のアソシエイトプログラムによる画像です。
■ いじめに耐え続ける日々
「いじめられる側にも原因がある」という言い方があります。私の場合、その原因は何だったのでしょうか。大人しくて弱そうな子どもだったから…転校生だったから…思い当たるのは、このあたりです。
先生がいじめられる私を何度も叱り付けたのも、おそらく富氏がいじめられるのは富氏が弱いからだと考えたからでしょう。しかし、今にして思えば、私はこのとき場面緘黙症だった疑いがあります。大人しくて弱そうだったのも仕方がなかったような気もします。
私は母にもいじめについて何度も相談したことがあるのですが、よく返ってくる答えが「やられたらやりかえせ」でした。しかし、この学校では、私は場面緘黙症(?)で思うように話せず、自由に動くことすらままならなかったのです。おまけに、私をいじめていたのは1人や2人の子どもではなく、クラス中の子どもたちです。緘黙・緘動少年が、クラス中の児童を相手に1人で立ち向かうのは簡単なことではありませんでした。
■ 父の容態が…
この頃は、私をめぐる家庭環境も、これまでになく悪い方向に進んでいました。
引越し当初は、頻繁に父のお見舞いに連れて行ってもらっていたのですが、次第になぜか通わせてもらえないようになりました。「お父さんのところに行きたい」といっても、どういうわけか「だめ」と言われてしまうのです。
それでも、ある日、久しぶりにお見舞いに連れて行ってもらうことになりました。
しかし、そこで見た父は、以前の元気な父ではありませんでした。病室全体に、これまでにない重い空気が漂っていました。「○○○(父の名前)、富氏ちゃんが来てくれたよ。見える?」父の看病をしていた親戚の1人が父にこう語りかけていました。父は眼の病気で入院していたわけではありません。しかし、体中が病気で弱っていて、すぐそこにいる私を見ることすら精一杯といった感じでした。
結局、長居をさせてもらえないまま、病院を後にすることになりました。しばらくお見舞いに行っていないうちに、父の病状がこんなに深刻になっているとは思いもよりませんでした。
■ そして…
それは、私のちょうど10歳の誕生日の朝のことでした。いつものように学校にいく準備をしていたところ、電話が鳴りました。私は電話をとる親戚を見ながら、こんな朝早くに何だろうといぶかりました。
短い電話のやり取りが終わった後、受話器を下ろした親戚は、ゆっくりと私にこう伝えました。
「富氏ちゃん、お父さんが亡くなったよ」
(続く)
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◆ 父の死
- [2006/09/09 17:45]
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コメント
本当にあったんですね(ToT)
富氏さんのお母さんはお父さんのご病気の事や、
これからの生活の事で精一杯だったんでしょうね。
スネオタイプのO君、その後医師になったのでしょうか。
診察や診断を事務的に下すだけの医師にたまに会います。
どの科の医師にも、メンタル面のフォローがあったら、
せめて人間的な思いやりがほしい、と思う事があります。
りんごさん、コメントありがとうございます。
この頃の母は病院で父の看病をしていて、私の世話は一部親戚に任せていたようです。父が亡くなった後、母が歯医者に行ったところ、虫歯が4本も見つかったと当時の日記に書かれてあります。母は長い間、歯医者に行く余裕すらなかったのでしょう。
O君のその後ですが、はっきりしたことは分かりません。ですが、受験生当時の地元紙の大学合格情報によると、O君は、志望していた医学部のある国立大学とはまったく別の国立大学の、しかも工学部に合格していました。もしかすると、志望を変更したのかもしれません。
冷徹な頭脳で診察や診断を下すのも心強いですが、患者の気持ちにも配慮ができる温かい心も持って欲しいものです。
と思う反面。
よくいるタイプの教師だなって思います。
世の中には悪い奴やいやな奴もいる
それは仕方ないにしても
何とかする方法があればいいんですけどね。
あと子供の頃に家族と自分を
精神的にも経済的にも支えてくれる
父親が亡くなってしまうのは辛いですよね。
僕の親はまだ生きていますけど
自分が大人でも親が死んだら
精神的にも今後の生活を考えても
辛いなって思います。
俊太さん、コメントありがとうございます。
この頃は私にとって、いじめの1つのピークでした。後のクラスでは、いじめられなくなります。
私の場合、父亡き後の生活には、わりと簡単に馴染むことができました。父がいなくても、かぎっ子でも、少々不便があっても、すんなり受け入れ、それが当たり前であるかのように暮らしてきました。父の早逝も打撃でしたが、私にとってそれ以上に大きかったことは、転校して学校で話せなくなったことでした。
いじめ
1人ぼっちで耐えてきたのかと思うと胸が痛みます。
>先生がいじめられる私を何度も叱り付けた
クラスの7〜8割いじめに加わるとは・・・!
担任はどう考えていたのか、
「富氏がいじめられるのは富氏が弱いからだ」などと本気で考えたのか、聞いてみたいものです。
自分の指導力のなさを認めたくなく、いじめられている子どものせいにした、つまり問題をすり替えたか、
何とかしたいとは思ったけれども誰にも助けてもらえず、自分のイライラを小4の子どもにぶつけてしまったか・・・。
「叱るのも大切」とか言って、人にイライラをぶつける行為を正当化する教師もたまにいますよね。
スネ夫もきっと、いじめでしかストレス発散できないさびしい子だった気がします。満たされてる子は、もっと楽しいことして遊べるはずでしょうから。
スネ夫は、いびつなまま大人になったのか・・・
どこかで歪みがなおって、自分のしたことに悔いる機会を持てたのか・・・
けいこさん、コメントありがとうございます。
おそらく私は弱々しくてシャイで華奢で、子どもからするといじめたくて仕方がない存在だったのでしょう。先生だけでなく母まで私に強くなるように繰り返し説いていたのは、そのためだと思います。特に私は男の子でしたから。
先生は、いじめの問題を別とすると、私に対して特別不利な扱いをするようなことはありませんでした。いじめの介入に対する考え方の違いだと私は思っています。
O君ですが、彼の家はなんだかとても貧しそうなアパートで、少し驚いたものです。中学校のときに彼が内気そうな子をいじめているのを見て、変わってないな〜と思ったものです。高校3年のときには隣のクラスになって、廊下ですれ違ったこともあります。彼は私のことを覚えていて、私を見て嘲笑していました。18歳にして相変わらず歪んでいたようです。
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