父の死

2006年09月23日(土曜日)

連続ブログ小説・私の緘黙ストーリーです。前回の話は「こちら」。緘黙ストーリーの目次をご覧になりたい方は「こちら」

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父の死を告げられたのは、私の10歳の誕生日の朝のことでした。

まさか父が亡くなるとまでは予想していなかったので、知らせを聞いて少しびっくりしました。しかし、最後にお見舞いに行ったときの父の容態を思い出すと、納得がいきました。

お通夜やお葬式があるからということで、その日は当然学校を休むことになり、菩提寺に向かいました。お寺では、父の看病に当たっていた母や何人かの親戚の方が既に集まっていました。

「お父さんは癌だったんだよ」

そのとき、私は初めて父の病名を知らされました。もっと早期に発見していれば助かったかもしれないのに、最初に入院した病院でゴタゴタしてしまい、発見と治療が遅れてしまったそうです。

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■ お葬式の写真

お葬式には、家族、多くの親族、父の会社の同僚、そして私の担任のN先生などが集まり、しめやかに行われました。

このお葬式のスナップ写真を集めたアルバムが今でも残っています。父の看病をしていた親戚は、見るからに疲れた表情をしています。それ以上に精気がない顔をしているのは、私の母です。

この母と、残された小さな子どもは、この先一体どうなるのだろうと、アルバムを見て思います。私がこのように思うのは、父の死からだいぶ年月が経って、当時を客観的に振り返ることができるようになったからでしょう。

■ 母子家庭の長男

「富氏ちゃん、お母さんを守ってあげるんだよ」

この日から、こんなことを親戚にさかんに言われるようになりました。そのうち、母も「お母さんを楽にしてやってくれ」などと言うようになりました。私は母子家庭の長男になったのです。

私も、これはもっともなことだと考え、自分が頑張って家を立て直さなければと考えるようになりました。そのためには、自分がもっとしっかりして、一生懸命勉強していい大学、いい会社に入って、立派なお嫁さんを貰うんだと考えるようになりました。

母子家庭で育つと、就職や結婚で不利な扱いを受けることがあるという話も聞かされました。こうした困難も、乗り越えなければなりません。

それにしても、これはちょっと私には荷が重過ぎるのではないかとも思いました。私は普通の子どもではないのです。頭は悪いし、運動はできないし、何をするにもひどく不器用だし、どこに行ってもいじめられるし、おまけに最近は学校に行くとひどく緊張して話せなくなってしまうのです。

このサイトにコメントを書き込んでくださる場面緘黙児のお母様方は、「私が子どもを守ってあげたい」というスタンスなのに対し、私の家庭の場合、母が「子どものお前が、私を守ってくれ」と求めており、正反対です。


NHK みんなのうた ベスト ― WAになっておどろう イレアイエ / 小さな木の実
※ 今回の記事は、「みんなのうた」で知られる名曲「小さな木の実」を聴きながら読むと感動が深まります、たぶん。私が自分の人生を語りだすと、どうしても湿っぽくなりがちです。


■ 不幸を呼ぶ男

私の10歳の誕生日に父が亡くなるとは、あまり気持ちのいいものではありません。さらにその10年前、私が生まれる5日前には、祖父が亡くなっています。

「お前は不幸を呼ぶ男だ」

この日を境に、家族から、こんなことをたまに言われるようになりました。もちろん、家族も冗談で言っているわけですが。

ただ、こうしたことに加え、私は学校で長年いじめられ続けるなど、いいことがあまりなかったので、やはり自分は不幸の星のもとに生まれたのではないか、呪われた人間なのではないかという意識が、私のどこかに根付くようになりました。

■ 学校では

お葬式も終わり、学校に登校すると、いつも私に絡んでくるいじめっ子たちが、どういうわけか私に絡んできませんでした。さすがのいじめっ子たちも、父を亡くして間もないクラスメイトをいじめる気にはなれなかったのでしょう。

ですが、O君だけはいつもと変わらず、私をいじめにかかってきました。根っからのいじめっ子というのは違うなあと、ある意味感心したものです。

父の死からある程度日にちが経つと、クラスメイトの私への接し方も従来のように戻るようになりました。

ちなみに、父の死をきっかけに私の緘黙症状が悪化したということはありませんでした。

■ 2度目の転校へ

父の死後、母と親戚の間で、今後の身の振り方について話し合いがありました。

それは、我が家の引越しと、私の転校に関わることでした。

(つづく)

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◇ 2度目の転校