
ずいぶん前に
「場面緘黙児の映画?」 という記事の中で、映画「かかしの旅」についてお話しました。
今回はその原作となった稲葉真弓氏の小説について書きたいと思います。ようやく原作を入手したので…。
今回の記事では、小説の内容について触れています。いわゆる「ネタバレ」があるので、「まだ読んでいないから、内容を知りたくない!」という方は、ご注意ください。稲葉氏の小説「かかしの旅」は、新潮文庫や朝日新聞社から出ている『いじめの時間』というオムニバス小説に収録されています。私が持っている新潮版だと、273ページ中35ページが「かかしの旅」になっています。
「かかしの旅」の発表は、1997年(平成9年)です。この年に朝日新聞社から発売された『いじめの時間』のために書き下ろされたものです。
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内容はフィクションでしょう。主人公は足が悪い場面緘黙児で、いじめられっ子という設定です。お話の中では、話せない子どもや、かつて話せなかった子どもたちが3人も登場します。「緘黙症」という言葉も、しっかり登場します。
作者は、場面緘黙症に関する情報をいったいどうやって集め、また、場面緘黙児の気持ちをいったいどう想像して綴ったのだろうかとあれこれ考えてしまいます。
私は、元場面緘黙児?の読者として興味深く読みましたが、主人公の気持ちには共感できるところもありましたが、できないところもありました。
■ 学校緘黙ではなくて、家庭緘黙はあるのか
場面緘黙症は、特定の場面になると極端に緊張して、話せなくなる症状のことを言います。だったら、学校など外だと安心しておしゃべりできるけれども、家庭では緊張して話せなくなる「家庭緘黙児」がいてもおかしくなさそうな気もします。
しかし、実際はそうした事例はほとんど聞いたことがありません。場面緘黙児は特定の場面で話せなくなる症状だけれども、その「特定の場面」がいったいどこかと言えば、家庭であることは滅多になく、大抵は学校や幼稚園、保育園だというのが、この症状のポイントです。
■ 暴力などの脅威で、話せなくなることはあるのか
もう一つ。何か暴力を受け続けたり、いじめを受けたりすることによって、緊張して話せなくなるということは、果たしてどれほどあるのかなあ?と思いました。
場面緘黙症は、多くの場合、学校や幼稚園、保育園に入学・入園したり、転校したりと、新しい環境に入ったときに問題化するのではないでしょうか。これもまた、場面緘黙症のポイントです。
なにやら、突込みばかりを書いてしまいましたが、認知度が極端に低い「緘黙症」が小説に取り上げられたのは喜ばしいことだと考えています。昔から読書感想文が大の苦手だった富氏でした。
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富氏さん、もう読まれたんですね。
「緘黙症」という言葉が出た時驚いたと同時に、映画でも名称が出てくるのだろうか、と思いました。
どなたか映画を見られた方はいらっしゃいませんか?
残念ながらうちの地域では公開されてないので残念です(T_T)
[2006/10/23 16:15]
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昨夜9:30過ぎ、書店が閉まる直前の時間に、この本を見つけました。「江国香織さんのコーナーで見つけました」という、ははさんのコメントが役立ちました。
「かかしの旅」のウェブサイトには、「緘黙症」の言葉は載ってませんね。小説を読んだ後、サイトを見ると面白いです。
サイトは2通りありますね。フラッシュのあるものと、「支援 ☆ 文化庁」のマークのあるものと。フラッシュのサイトには、よく探すと原作者のメッセージがあります。なんでも、ある「夜廻り先生」への取材から生まれた話なのだそうです。マークのある方のサイトでは、映画のダイジェストムービーを見ることができます。
[2006/10/23 17:16]
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「かかしの旅」本と、映画紹介のダイジェスト版見ました。
とても、いい本(映画)ですね!
親はどうしても、
子どもが不登校になると、とにかく登校させようとするし、
家出したら、とにかく連れ戻して監視しょうとするし、
緘黙になると、話させようとしがちです。
それじゃダメなんだということが、わかる物語と思いました。
「いじめにあった主人公は、生きるために学校を捨て、家を捨て、家出をします。」
この子にとって学校は、弱肉強食のジャングル。
ジャングルのような学校への適応から一旦背を向けて、
自分の世界を取り戻していこうとしている姿がよく描かれています。
それと、本の方はいじめが教室の中でどのように蔓延していくかも、
よく描かれている。
でも、場面緘黙症の理解という点では、
この本の作家や映画の製作者は誤った理解をしているのでは?
それが、とても残念です!
主人公の心の動きにとても無理があるように・・・感じます。
>私は、元場面緘黙児?の読者として興味深く読みましたが、主人公の気持ちには共感できるところもありましたが、できないところもありました。
冨氏さんは、どのへんに共感して、どのへんに共感できなかったですか?
私が違和感を感じるのは、まず「場面緘黙児が家出をする」という
作品の基本的な設定・・・かな。
小学校時から緘黙症状がある中学生が、あの状況で自分から家出するかなあ?・・と思います。
家出というのは、かなり思い切った行動ですよね。
自分の方から環境に働きかけをするのが苦手で、社会的場面での不安の高い子どもが、家出して仲間と出会って暮らし始める・・・ちょっと考えにくいです。
それと映画の方は、
主人公がみんなのいる教室の中にバタバタと走り込んできて、
いきなり、友達の腕を引っ張って「あ〜あ〜」と声を立てて知らせるというシーン。これはおかしいと思いました。他にも細かいところが、いろいろ・・・。
作家と映画を作った人達は、緘黙症をただ「声が出ない症状」、
聾唖者と同じように、
(口がきけない人、唖者・・・差別語ではないです)
理解しているのではないかと思います。
書き込み、長すぎ!すみません。
[2006/10/25 07:28]
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「支援 ☆ 文化庁」のサイトにも、原作者のメッセージはありますね…。訂正。
[2006/10/25 11:19]
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>冨氏さんは、どのへんに共感して、どのへんに共感できなかったですか?
いろいろ思うところがあって、ブログの記事の中では、敢えて深い言及を避けました。
家出は、私が緘黙児だった頃は考えたことがありません。そんなこと、恐ろしくて、とてもできませんでした。高校3年のときも、大学進学で県外で生活するようになったらどうしようと、強い不安におののいていたぐらいです(いい年して情けない…)。そういえば、緘黙と関係して、分離不安というのがあったような。このお話については、「主人公、思い切ったことするな〜」ぐらいに思い、別に気にしていませんでした。
あの「あ〜あ〜」というシーン…。私があの動画を見たのは記事を公開した後だったのですが、びっくりしました。映画制作者や原作者は、あの子を緘黙児として描いたつもりなのでしょうか?
その他、主人公のいじめを助けた女の子が印象的でした。私も昔、あそこまでドラマチックではありませんでしたが、似たような女の子たちに出会ってきたので、そのことを思い出しました(詳しくは緘黙ストーリーの中学生編でお話する予定です)。ですから、主人公の気持ちが本当によく分かったのですが、私なら手紙を書くなんて真似は、怖くてできなかっただろうとも思いました。
[2006/10/25 11:20]
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