[緘黙] 2度目の転校で緘黙症状が悪化 [ストーリー]

2006年11月05日(日曜日)

連続ブログ小説・私の緘黙ストーリー。今回は第2部の最終回になります。

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■ 2度目の転校で緘黙症状が悪化!

小学4年の3学期。父の死をきっかけにした2度目の転校でした。転校先の学校では、勇気を出して声を出そうと心に決めていました。

しかし、皮肉なことに、新しい学校に転校して、緘黙症状はかえって悪化してしまいました。これで、私の場面緘黙症人生は決定的になりました。

私が新しく入ることになったクラス・4年1組は、前の学校のクラスに比べるとおっとりした雰囲気でした。私をいじめる子も少なく、多くのクラスメイトは私に対して友好的でした。

私はこれまで、自分が学校で萎縮して話せないのは、クラスのみんなが自分をいじめるからだと考えていました。しかし、今回のクラスではそれほどいじめがひどくなかったのに、以前よりももっと萎縮して話せなくなっていたのです。

今までは、学校で話せないことよりも、いじめに悩んでいました。しかし、この転校を機に、むしろ学校で話せないことそのものを真剣に悩むようになりました。

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■ 相変わらずの学校不適応ぶり

私は新しいクラスでも、相変わらずの不適応ぶりでした。

学校で話せなかったことは、言うに及びません。

それから、私は勉強以外の、集団で遊ぶような授業が駄目で(何の授業だったのだろう…)、周りに溶け込むことができず、泣いてばかりいました。もうすぐ5年生にもなる男の子が、情けなさすぎです。

私に仲良く接してくれるクラスメイトはいましたが、友達と言えるほどの子はいませんでした。クラスで孤立する場面も多かったです。

前のように、クラスのみんなからいじめを受けるということはありませんでした。いじめが激減したのは、私にはとてもよかったです。ただ、2人、私をいじめる子がいました。男の子1人と、女の子1人でした。

ちなみに、私の人生史上、女の人からいじめられたのはこれが最後でした。その代わり、小学校高学年以降になると、一部の女子が私に対して不思議な接し方をするようになります。

■ 担任M先生

クラス担任はM先生という、年配の女性の先生でした。

このM先生ですが、私に対しては素っ気無く、あまり関心がないようでした。私の学校不適応も、見事に放って置かれました。前の担任のN先生のように、私を叱るということも全くありませんでした。

その一方で、他のクラスメイトとは実に親密で仲良くしていました。

私はM先生に不信感を持つようになりました。もしかすると、先生は私のことを軽視しているのではないか、どうせ私とは3学期だけの付き合いだからどうでもいいとでも思っているのではないか、と。

後から知ったことですが、このクラスは3年生からの持ち上がりで、M先生は私以外の子どもたちとは、3年生からの付き合いだったそうです。どうりで、親密なはずです。

■ 美少女・Kさん

小学4年の3学期のクラスというと、Kさんという女の子のことが思い出されます。

端正な顔立ちで、スラリとした、すごくキレイな子だったのですが、私がクラスに馴染めず泣き出したりすると、なぜか私の目の前に現れて色々面倒を見てくれたのです。

どうしてKさんがこのように世話を焼いてくれたのかは分かりませんでした。日ごろ親しい間柄でもなんでもなかったのに、なぜだったのでしょうか。

もしかすると、Kさんはクラスの副会長だったので、先生が密かに私の世話係に指名していたのかもしれません。あるいは、Kさんはもともと世話好きな性格で、私のような子どもを放っては置けなかったのかもしれません。

何にせよ、Kさんの親切は、私にとって大変ありがたいものでした。

■ 小学4年時代の総括

こうして、私の小学4年生の生活も、幕を閉じました。

この1年間、踏んだり蹴ったりでした。

突然引っ越すことになり、転校先では緘黙症になり、いじめられ、唯一いじめを助けてくれた友達は転校していなくなり、父は亡くなり、2度目の転校先で緘黙症が悪化…。

父が亡くなったことにより、私は母子家庭の長男になりました。私がしっかりして、将来、立派な会社に就職して、いいお嫁さんをもらって、家を立て直そうという思いがありました。母も親戚も、「お母さんを楽にしてやれよ」と私に繰り返し話していました。

しかし、学校不適応で屈辱的な毎日を送った私は、こんな自分が、果たして将来立派な大人としてやっていけるのだろうかと、強い危機感を感じていました。

加えて、私はどうしようもなく自己評価の低い子どもになっていました。毎日が憂鬱で、自分は生きている値打ちすらない人間なのだろうと、本気で信じるようになっていました。

緘黙症状が悪化した私は、「生体反応なし」とまで言われた小学校高学年時代を迎えることになります。

(第2部・終わり)


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