[緘黙] 小学5年に進級 [ストーリー]

2006年12月19日(火曜日)

久々の連続ブログ小説・私の緘黙ストーリー。今回から、第3部が始まります。第3部では、私の緘黙症状が最もひどかった、小学5~6年のお話をします。

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■ この頃の症状

場面緘黙?の症状が私にとって最もひどかったのは、小学5~6年の頃でした。

話せない、笑えない、著しく表情に乏しい、動きが鈍く一見ぼーっとしているように見える、いつも憂鬱で自己評価が低く「自分は生きている値打ちがない人間」と信じている…しかし、心の中で劣等感がマグマのようにたまっていて、これが大変なエネルギーになっていました。

緘黙が最もひどかった時期とはいえ、首の上下運動で意志の疎通はできました。発語も、本読みなど、求められれば全くできないことはありませんでした。ただ、声はひどく小さくて、「聞こえない」などと言われることもありました(私を気遣って、露骨にそう言った人は少なかったのですが)。家庭では緘黙することはありませんでした。

私は当時「緘黙症」を知らず、自分が話せないのは性格の問題ではないか、性格が引っ込み思案だからではないかと考えていました。とはいえ、いくら性格といっても、かなり極端な引っ込み思案だったので、もしかすると何かの病気か障害なのではないかだとか、自分は普通学級ではなく特殊学級に通うべきなのではないかだとか思うこともありました。

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■ 期待しない生き方

人生は苦である。少なくとも自分にとってはそうだったし、これからもそうだろう。

そうした人生をなんとか生きていくには、いったいどうすればよいか。

それは、人生に期待しないことではないか。自分の人生には、希望なんてない。一生不幸な目に遭い続ける。親や先生にも期待しないことだ。頼りになる人は誰一人いない。自分の可能性も信じてはいけない。自分には才能がなく、努力は徒労に終わる。

こう考えれば、たとえ苦しいことがあっても、少しは耐えられるというものだ。最初から人生に期待しない心の準備ができているのだから。

当時の私の考え方です。なんとも暗いです。子どもなのに、夢も希望もありません。緘黙やいじめ、父の死などを経験し、自然とこういう考え方になったのでしょう。

※ 同じような人生哲学を展開する作家がいますが、盗用ではありません。

■ 担任Y先生

小学5年に進級するにあたって、担任が代わりました。私にとって初の男性担任となるY先生です。

Y先生は、見たところ5年生の担任の先生の中では最も年齢が上で、40代ぐらいのようでした。もっとも、Y先生は自分は28歳だと言い張っていました。

Y先生は、児童を当たり前のように呼び捨てにしていました。私は前の前の小学校で「呼び捨ては悪」ときつく教えられていましたが、この頃になると、私も呼び捨てには慣れていました。

Y先生は、新しいクラスが始まって間もなく、クラスにいじめがあることを認識し(この時いじめられていたのは私ではありません)、ホームルームを開いて、いじめはよくないということを子どもたちに強調していました。私は、先生によっていじめの対応は全然違うんだなと感じたものです。

このY先生ですが、話ができない私に気づき、問題視するようになりました。

(つづく)

[続きの記事]

◇ [緘黙] 理解ある先生、クラスメイト [ストーリー]

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