場面緘黙症、治さないといけないの?

2007年01月30日(火曜日)

「場面緘黙症、どうして治さないといけないの?喋れなくたって別にいいじゃん!」

もしあなたのお子さんがこう言い出したら、どう答えます?

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■ 本当に治さないといけないの?

私は、自分の場面緘黙症は本当に治さなければならないのだろうかと悩んだことが何度もあります。

私の考えはこうでした。別に話せないことが悪いというわけではない。おしゃべりな人、無口な人、世の中いろんな人がいていい。こんな私だから好いてくれている人もたくさんいる。内気な性格を変えるのは、自分らしさの放棄につながる。

話せなくても、周囲の理解があるので学校生活に特に不満はない。将来は不安だが、もしかしたら無口で内向的なままでも、社会に適応し、自己実現をする術があるかもしれない。

もし無口な人が社会でうまくやっていけないのだとしたら、それはその人が悪いわけではなく、社会が悪いのだ。色んな個性の人がいてもいいのに、それを認めない社会は許せない。

[ご注意]

※ 場面緘黙症は、無口なことには違いありませんが、ただの無口とは違います。念のため。(02/01/2007)

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■ しかし…

しかし、大学進学で、就職先に営業職が多い経済学部に入ったこともあって、無口な自分は変えなければならないという考えに結局落ち着きました。

緘黙の人や後遺症を持った人でも生きやすい社会になってほしいとは思いますが、社会が変わるのを期待するよりも自分が変わる方が手っ取り早いです。

■ 本人が治したいと考えるから治すのだ

場面緘黙症を治すも治さないも、個人の自由だと私は思います。場面緘黙症や後遺症がある人は一人残らず治療を受けるべきだとは考えません。

場面緘黙症でも本人が不満を抱いていなければ、別に治さなくてもよいと思います。例えば、別に家でしか話せなくても、学校生活に不満はない。後遺症はあるけれども、不満はない。中には、場面緘黙やその後遺症で学業上、あるいは職業上に何らかの悪影響があっても「それでもいい」と考える人がいるかもしれません。

しかし、そういう人は実際は少ないのではないかと思います。場面緘黙のために学校生活に大きな不満がある。将来、社会でうまくやっていけるかどうか不安だ。だから治すのです。

■ 子どもには、物事を正しく判断する力は弱い

子どもの場合は、少し事情が違います(といっても、場面緘黙症の人はほとんどが子どもでしょうが)。

子どもには、物事を正しく判断する力は弱いです。例えば、「緘黙治さなくっていいじゃん!」と言う子どもが、大人になっても後遺症をひきずり、「あの時治しておけばよかった」と後悔しても、遅すぎます。

そこで、親が介入する必要が出てきます。親が嫌がる子どもに場面緘黙症の治療を強要しても、親のエゴの不当な押し付けとも必ずしも思いません。緘黙症の後遺症がある人や大人になっても引きずっている人には、不満を感じている人がほとんどですから、子どものうちに治しておくのが無難だと思います。

もちろん、「治したい」という子どもには、力になってあげたいものです。

■ むすび

世の中にはいろんな人がいてもいいはずなのに、どうして緘黙の人は社会に受け入れられないのだろうかと考えたことが何度もあります。

緘黙で社会に適応できない人がいるなら、緘黙の人を治すのではなくて、社会の方を変えるのが本来のあり方ではないかと考えたこともあります。情緒障害も、見方を変えれば個性です。

しかし、先ほどお話したとおり、社会が変わるのを期待するよりも緘黙の人を治す方が手っ取り早いでしょう。学校環境を変えるというのならまだしも、社会を変えるというのは大変そうです。

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[蛇足]

今日までの私、明日からの君最近、「加藤いづみ」の名を久々に耳にし、嬉しくなりました(左の人です)。深夜ラジオが懐かしいです。といっても、私と同世代の人しか分からないかもしれませんが。私は演歌・歌謡曲が好きですが、加藤いづみも好きでした。アルバムのキャンペーンやってるそうなので、宣伝しておきます。