[緘黙] 母子家庭の緘黙症児 [ストーリー]

2007年10月03日(水曜日)

日本の緘黙研究のお話をしようかと思ったのですが、気が変わりました。今回は、私の緘黙の思い出話です。現在、小学5~6年生編です。

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しばらく学校のお話を続けてきましたが、このあたりで学校以外のお話をしたいと思います。

私が現在(小学5~6年当時)の家に住み始めたのは、小学4年の3学期からでした。父の死をきっかけに、ご厄介になっていた親戚の家を出て、現在の家に移ったのです。

■ ご町内での緘黙状況

家の周辺では学校とは違って、わりとはしゃぐことも多かったようにも思います。隣の家のおばさんとは時々普通におしゃべりすることもあったような記憶もあります。また、近所に文房具屋があったのですが、そこのおじさん、おばさんともお話することがあったように思います。

もしこういう場所で、クラスメイトや先生とばったり顔を合わせたらどういうことになっていたでしょう。おそらく急に緘黙してしまっただろうと思います(実際に似たような経験があります…)。

私の家の近所にはけっこう子どもが住んでいたのですが、彼ら・彼女らとは疎遠な関係でした。お互い顔を合わせても挨拶すらしませんでした。ただ、年に1回お祭りがあって、町内会の子どもたちと長時間一緒に過ごす機会がありました。そこでは私はどの子とも話さず、緊張して場面緘黙していました。私に話しかける子もいませんでした。

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■ 非社会的な鍵っ子

我が家では日中は母は働きに出ていて、家に保護者はいませんでした。このため、私はいつも鍵を持ち歩いていました。鍵っ子です。

私は学校から帰った後は、学童保育所には通わず(存在すら知りませんでした。なかったのかもしれません)、習い事にも通わず(経済的な理由からか、通わせてもらえませんでした)、家で留守番することが多かったです。当初は寂しい思いをしたものですが、そのうち、一人で家にいる方が気楽だと感じるようになりました。私のインドア傾向は、このときの鍵っ子生活で形作られたものでしょう。

ときどき、友達のK君が遊びに誘ってくれることがありました。そういうときは、家に鍵をかけてK君の家に遊びに行ったものです。なお、逆にK君が私の家に遊びに来ることはありませんでした。私としては、自分の安全地帯に他人が絶対に入ってきて欲しくはなかったので、誘わなかったのです。

学童保育所にも行かず、習い事にも通わず、友達ともあまり遊ばずに、家で留守番…ずいぶんと非社会的な生活を送っていたんだなと改めて感じます。

■ 家より学校の方が楽しかった

私は家にいるよりも、学校にいる方が楽しかったです。学校では緘黙していたのに、なぜ?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。なんてことはない、とても単純な話です。

家で留守番している間はいいのですが、母と一緒にいるのが嫌でした(親不孝な…)。母は厳しくて怖い存在で、何かにつけて私を怒るので、一緒にいると落ち着かず、劣等感を感じさせられてばかりでした。

しかし、学校では、私は真面目で成績優秀(?)な児童として、先生からもクラスメイトからも高く評価されていました。褒められこそすれ、怒られたり叱られたりすることは、まずありませんでした。みんな私の緘黙を理解してくれていて、私を責めたりいじめたりするようなことはありませんでした。

■ 息子に気を配る余裕のなかった母

母は専業主婦だった頃に比べて、以前ほど私の学校のことに関心を持たないようになりました。もう小学校高学年にまでなったから、という考えもあったかもしれませんが、おそらく仕事と家庭の両立が難しく、息子の学校のことまで頭が回らなくなったのでしょう。

思えば、私が学校でちょうど場面緘黙になったのと同じ頃、母は父の看病や仕事で忙しい毎日が続いていました。母は私が学校で緘黙していたことを知らなかったのも、このことが一つの原因だったのかもしれません。

(つづく)

次回こそは、日本の緘黙研究を紹介してみようと思うのですが、私は気まぐれなもので、予定はまた変わる可能性があります。人気blogランキング参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
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