場面緘黙症にかかる費用

2007年10月24日(水曜日)

そういえば、私は大学で経済学を専攻していたのでした。そこで、場面緘黙症について経済学の視点から少し書いてみます。[1]

経済学には「医療経済学」という応用分野があります。[2]

イギリスの Martin Knapp 教授(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス、ロンドン大学精神医学研究所)も医療経済学者の1人で、メンタルヘルスについて医療経済学の視点から数多くの研究論文を発表しています。

代表的なものは、行為障害を持った子が大人になると、そうでない子に比べてどれだけの費用がかかるかとか(Scott, Knapp, Henderson, and Maughan, 2001)、精神医学的介入がどれだけの費用がかかるかとか(Beecham, Knapp, 1992)、そうした研究です。中には、統合失調症の費用(Knapp, 1997)、自閉症の費用(Jarbrink, Knapp, 2001)、などという研究もあります。[3] ですが、場面緘黙症の費用に関する研究は、やはり見つかりませんでした。

■ 場面緘黙症にかかる費用は?

そこで、考えてみました。場面緘黙症の費用は、一体どのように算出できるのでしょうか。以下では、具体的にどういったものを費用として計上できるかについて、経済学の独特の費用概念に基づいてお話しています。また、場面緘黙症は早期介入を行えば費用を最小限に抑えることができる点も指摘しています。ただし、費用は具体的にいくらと計算しているわけではありません。

なお、私は学士(経済学)ですが、医療経済学は詳しくなく、費用の算出方法も分かりません。医療経済学の教科書を参考に(McPake, Kumaranayake, Normand, 2002/2004)、私なりに考えてみることにします。

■ 経済学の費用の概念

経済学の概念は、世間一般で言う費用の概念とは少し違います。会計学上の費用とも違います。とりあえずは、直接的な費用と間接的な費用に分けて説明します。

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■ 場面緘黙症の直接的費用

これはわりと分かりやすいです。例えば、娘が場面緘黙症だからということで医療機関で診てもらったら、その診察代や薬代等は費用として計上されます。

では、公立小学校や児童相談所でカウンセリングを受けた場合はどうでしょうか。おそらくこうした場合は料金をとられることはないだろうと思います(違っていたらごめんなさい)。では、費用はゼロなのでしょうか。公立小学校や児童相談所で雇われているカウンセラーは、ボランティアでやっているわけではありません。その賃金はどこから来るのか私は知らないのですが、おそらくは税金か授業料で賄われているのでしょう。

そうすると、一見無料のように思われるカウセリング費用も、実は自治体が負担していたり、授業料という形で家計が一部負担していたりするのかもしれません。[4] そうした費用は、家計の負担は少ないかもしれませんが、政府や社会全体が負担する費用の額を考える場合は無視することはできません。

医療機関で何か健康保険がきくようなことをした場合も同様で、その費用は家計には関係ありませんが、社会全体の費用を考える際には考慮しなければなりません。

■ 場面緘黙症の間接的費用

経済学では、機会費用という独特の費用概念があります。

例えば、働きに出ていたお母さんが、娘の場面緘黙症を心配して、娘の問題に専念するために仕事の量を減らしたとしましょう。仕事の量が減ると、お給料も減るでしょう。そうすると、そのお母さんは、場面緘黙症の娘の問題に専念するために、それだけのお給料を犠牲にしたことになります。これが機会費用です。

専業主婦のお母さんについても同様に考えます。娘の場面緘黙症の問題を解決するために、時間を作って場面緘黙症の本を読んだり、学校側と交渉したり、場面緘黙症Journal 掲示板で同じ悩みを持つ親御さんと交流したりするかもしれません。これだけのことをする時間を例えば労働に向けていたら、いくらかお給料が得られたはずであり、その得られたはずのお給料の額を機会費用として計上します。

機会費用は、何もお母さんだけの問題ではありません。もし場面緘黙症の子どもが治療を受けず、その症状や後遺症、続発症が原因で学業が振るわず、進学、そして就職にも影響が出たらどうでしょうか。[5] 就職に影響が出ると、生涯賃金にも影響が出るはずです。場面緘黙症を治療しなかったために失った生涯賃金の差額も、経済学では費用として計上します。

費用として計上できるものは、まだまだあるかもしれません。ですが、ここまで挙げたものだけを見てみても、場面緘黙症はかなり費用がかかるのではないかと思えてきます。特に、生涯賃金の影響は大きそうです。

■ 割引現在価値

場面緘黙症が何年、何十年にもわたって長引いた場合に問題になるのは、お金の価値の変化です。現在のお金の価値は、将来のお金の価値とは違います。費用の計上に当たっては、インフレ率や利子率を考慮しなければなりません。

■ 早期介入すれば、費用は減らせる!

こうした費用は、早期介入で最小限に抑えることができるのではないかと私は思います。場面緘黙症は早めに介入すれば治りやすいですから。ですが、介入の時期が遅れてこじれると大変です。費用ばかりかかって、なかなか治らず、成人しても後遺症が残って生涯賃金に影響が出るということにもなりかねません。

医療経済学には費用効果分析や費用便益分析というものがあります。どれだけの費用でどれだけ治ったかという問題ですが、最小限の費用でたくさん治るやり方が経済合理的に決まっています。早期介入は、費用対効果や費用対便益を考えると、経済合理的な行動と言えます。

しかし、実際は早期介入が必ずしも行われるとは限りません。考えられる理由としては、場面緘黙症についての無理解が挙げられます(経済学的に言えば「情報の不完全性」)。学校で全く話さない子がいても、うちの子は場面緘黙症で早期介入すればすぐ治ると親が気づくとは限りません。効果的な治療法も、よく知られてはいません。効果的な早期介入が行われず、場面緘黙症でずるずると費用が拡大している例は少なくないのではないかと思います。

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[注]

[1] ときどき誤解されることがあるのですが、経済学はお金儲けの学問ではありません。資源の効率的配分に関する学問です。ですから、もしあなたの周りに貧乏な経済学者がいても、ちっともおかしくはありません。

[2] 医療経済学は、英語では Health Economics と呼びます。このため、「医療経済学」は誤訳で、正確には「健康経済学」ではないかという主張があります。

[3] ここで挙げたものは、たまたま費用に関する研究ばかりでしたが、何も医療経済学の研究対象は費用ばかりではありません。

[4] 経済学では、よく「無料の昼食なんてない」とか「タダ飯はない」という言い方をします。英語で言うところの、"There's no such thing as a free lunch" です。一見タダのように思われるものも、誰かが必ず費用を負担しているものです。

[5] アメリカ精神医学会は DSM‐IV‐TR の中で、場面緘黙症の診断基準の一つに、学業上または職業上の成績への妨げを挙げています。

[参考文献]

◇ McPake, N., Kumaranayake, L., Normand, C. (2004). 国際的視点から学ぶ 医療経済学入門(大日康史 and 近藤正英, trans.). 東京大学出版会. . (Original work published 2002)

※ 以下の文献は、ほとんど abstract しか読んでいません。

◇ Beecham, J., Knapp, M. (1992). Costing psychiatric interventions. In. Thornicroft, G., Brewin, C., and Wing, J. (Eds.), Measuring mental health needs, second edition, (pp. 163-183). from http://www.pssru.ac.uk/pdf/dp1536.pdf.
◇ Jarbrink, K., and Knapp, M. (2001). The economic impact of autism in Britain. Autism, 5(1), 7-22.
◇ Knapp, M. (1997). Costs of schizophrenia. The British Journal of Psychiatry, 4(10), 33-35.
◇ Scott, S., Knapp, M., Henderson, J., and Maughan, B. (2001). Financial cost of social exclusion: follow up study of antisocial children into adulthood. British Medical Journal, 323(7306), 191.