「緘黙」なんて病名のようなもの、つけるな?

2008年11月13日(木曜日)

「最近、何にでも病名をつけようとする風潮がある」

こういう意見をときどき耳にします。こうした考えの人が、もし場面緘黙症の認知度が上がって、緘黙のことを知ると、どう感じるでしょうか。

「また何でもかんでも病名をつけやがって。いい加減にしろよ」

こう感じる人も出てくるかもしれません。

■ 「緘黙」という用語は、1950年代には既に存在した

何にでも病名をつけようとする「最近の風潮」で言う「最近」が、一体いつのことを指すのかは定かではありませんが、例えば、ここ10~20年を指す意味であれば、それは誤りです。

「緘黙」という用語は、日本では1950年代に医学系の雑誌や書籍に登場し(「日本の場面緘黙症研究(1950年代まで)」参照)、それ以降、緘黙の研究に医学関係者が大きな役割を果たしてきました。

■ 「緘黙」という用語が医学界に無い世の中を想像してみる

「緘黙」が病名にせよ症状名にせよ、そうした用語が医学界に存在しない世の中を想像してみることにしましょう。

「緘黙」という病名なり症状名なりがないということは、医学の世界では緘黙は問題視されない状態にあるということです(医学関係者は、緘黙に対する問題意識を持つからこそ、「緘黙」という名前をつけるわけです)。

こうした状態にあると、当然、医学関係者は、緘黙の研究を行いません。治療の研究も、治療そのものも、全く行いません。緘黙の支援団体にも協力しません。緘黙症児に対して、医学界は何の関心も持たない状態です。

果たしてそれで良いのかどうかということです。

■ 医学の対象とするに十分値する問題

場面緘黙症は、ただの内気や恥ずかしがりではなくそれが度を超したものであり、社会生活を営む上で障害になります。特に最近は、不安障害との関わりが明らかになってきています。しかし、医学的介入によって克服が容易になるのです。医学の対象にするに十分値する問題ではないでしょうか。

「何でも病名のようなものをつけると、病気を言い訳に、義務や責任を避けようとする者が現れる(二次的疾病利得)」という主張もあるでしょう。しかし、そうしたデメリットを認めても、やはり病名なり症状名なりをつけ、医学関係者が問題意識を持った方が、緘黙の子どもやその親御さんにとって、メリットの方がはるかに大きいでしょう。