緘黙は自分のアイデンティティだ!治さない!

2009年05月18日(月曜日)

「緘黙identity」という概念を提唱した専門家がいます(荒木, 1979)。

* 以下引用 *

話さないという状況が持続すると、ついには「話せるようになるまでは、creative なことは何もしないと決心していました」(症例22)というような、緘黙のまま生きるということを自ら選択した一つの生き方(life style)としてしまう人(緘黙identity)もある。

* 引用終わり *

場面緘黙症の一経験者(自己診断ですが)として、実によく分かります。

私は場面緘黙症が何年経っても治らなかったのですが、そのうち、緘黙を自分のアイデンティティと考えるようになっていきました。

こうした考え方が正しいかどうかは別として、場面緘黙症を治すのにはマイナスでした。

というのも、緘黙が自分のアイデンティティだとすると、緘黙でなくなるということは、自分が自分でなくなってしまうことを意味するからです。このため、緘黙が治るということが、時に、非常に恐ろしいことのように私には思えました。これは、緘黙を治そうという意欲にマイナスに働きました。

もっとも、当時の私は場面緘黙症を知りませんでした。もし場面緘黙症のことを知っていれば、緘黙は自分のアイデンティティなどではなく、治療可能な病気のようなものにすぎないと捉えたかもしれません。

これはあくまで私の場合で、他の緘黙が長引いた人もこうなのかどうかは分かりません。

[文献]

◇ 荒木冨士夫 (1979). 小児期に発症する緘黙症の精神病理学的考察. 児童精神医学とその近接領域, 20(5), 290-304.