「心因性緘黙症児のための心理治療仮説」

2009年11月17日(火曜日)

このブログでは、時々緘黙症の論文を取り上げています。私は専門家ではないのですが、自分自身の勉強も兼ねて。

今回は、これです。比較的よく引用されているので取り上げます。

畠瀬直子 (1978). 心因性緘黙症児のための心理治療仮説. 児童精神医学とその近接領域, 19(4), 227-245.

■ 概要

遊戯療法により完治をみた場面緘黙症児の事例を示し、場面緘黙症の心理治療仮説を導いた論文です。

■ 所感・所見

場面緘黙症の事例研究は日本でも数多いのですが、今回の研究は、その中でもよく引用されています。調べたところ、場面緘黙症の治療仮説がある、として引用されていることがままあり、そのことが被引用回数の多さにつながっています。

心理治療仮説は、心理治療、特に遊戯療法を行う上での仮説で、私には分からない技術的な問題がいくつか含まれています。このため、この仮説についてコメントするのは控えます。

しかし、今回の論文には、ほかにも気になった点がいくつかあるので、それについてコメントします。

○ 緘黙症が「完治」

まず、この論文では、緘黙症児が遊戯療法により「完治」したという表現が用いられています。たしかに治療室内では緘黙症状が完全に消えましたが、治療室外ではどうだったのか、セラピストがいない場面ではどうだったのか、この論文を読むだけでは十分に読み取れませんでした。改善したらしいことは読み取れるのですが、どの程度の改善だったかが、もう一つよく分かりません。4年後の追跡調査では、学校では緘黙症状は消えていたものの、内気な子どもに一般的にみられる程度の問題はあったことが少し気にかかります。

たとえ治療室内で声が出るようになっても、それが治療室を出た後も続くかどうかは、一つの問題です。行動療法では、学校を舞台に少しずつ発話を促そうという試みがなされることがありますが、これにはそうした問題がないというメリットがあると、どこかで読んだ覚えがあります。学校内が言ってみれば治療室なわけで、学校で声が出ればそのまま問題解決ということになるからです。

* * * * * * * * * *

○ 日本文化と緘黙

今回の論文では、日本の文化が場面緘黙症や症児に与える影響について2箇所触れられています。以下は、そのうち1箇所です。

* 以下引用 (9ページより)*

withdrawal な反応を示す児童をきわめて許容的に包み込んでしまうわが国の文化においては、緘黙という問題を持つ子ども達は何ら適切なアプローチを受けないまま生活を続け、行動面の自由さを完全に失って集団内で自己の内的可能性を何ら発揮することのできないみじめな姿を呈するに至って初めてわれわれ臨床家の前に現れる。

* 引用終わり *

「withdrawal な反応」とは、引っ込み思案な反応といったところでしょうか。

この部分は高嶋(2007)にも引用されていますが、確かに、今日でも日本ではそういう文化がまだ残っていそうです。内気、シャイは、「奥ゆかしい」として美徳とされることすらあります(少し古風ですが)。

アメリカなどではそうした人はとても暮らしにくいそうです。事実かどうか分かりませんが、特に最近は、内気、シャイは病気と見られるようになってきているとも聞きます。場面緘黙症にしても、アメリカでは大きな力を持った支援団体があり、研究も活発に行われ、大手メディアで啓発活動が行われたりしていますが、これにはそうした文化的背景もあるのかもしれません。

こうした文化の問題に触れた日本の専門家は、実はほとんどいません。

○ 緘黙症の「後遺症」は昔からあった?

* 以下引用 (21-22ページより)*

緘黙症とみなされる子ども達のなかで、心理治療を受ける子どもはごくわずかである。(中略)そんなかれらが、社会人になって何年もしてから、われわれが研究会を組織して実践活動しているエンカウンター・グループのワークショップをどこかで知って参加してくることがある。自分が過去に場面緘黙であったことをボソボソ語り、現在もそのころからひきずっている苦しさのあることを表明する。そういう個人に会うと、早期に専門家に出会えていたらと思わざるを得ない。

* 引用終わり *

現在でも、場面緘黙症を経験した人で、成人後もいわゆる「後遺症」に悩まされている人はいます。上の論文が発表されたのはもう30年も前のことですが、その頃から状況は変わっていないのではないかと考えさせられます。

30年経っても状況が変わっていないとすると、なんとも進歩のない話です。著者が強調する早期対応が、いまだに徹底されていないからでしょう。このように「後遺症」に悩む成人を生まないためには、場面緘黙症の啓発が行われ、早期対応の必要性が知らしめられることが必要なのだろうと思います。