「クラスのなかの場面緘黙」

2010年01月22日(金曜日)

このブログでは、時々緘黙症の論文を取り上げています。私は専門家ではないのですが、自分自身の勉強も兼ねて。今回は、これです。

松村茂治 (1998). クラスのなかの場面緘黙-緘黙児と子どもたちとのふれあい-. 東京学芸大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要, 22, 75 -91.

■ 概要

場面緘黙症の事例研究です。緘黙の小学5~6年生・葉子さん(仮名)に、「フェーディング法」(行動療法)を行っています。そして、学校場面で、学級担任の教師やクラスの子どもたちが、葉子さんにどのように関わってきたかを検討しています。

■ 所感・所見

◇ 行動療法を用いた日本の研究

場面緘黙症の治療法は、英語圏の国では行動療法が盛んです。近年わが国でも『場面緘黙児への支援』や『場面緘黙へのアプローチ』といった邦訳書の発売などで、英語圏の行動療法のノウハウが知られつつあります。

しかし、実は緘黙の子に行動療法を用いた例は、日本でも昔からあります。今回取り上げる論文は、その行動療法を用いた研究の一つです。

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◇ 日記、作文、メモ

緘黙の事例研究では、治療や介入の経過が詳しく記述されることが多いのですが、今回の研究ではそれに加えて、緘黙の子やそのクラスメイトの日記と作文、担任のメモも掲載されています。これは非常に珍しいです。しかし、これにより、対象児やクラスメイト、先生の心境がよく分かるようになっています。

◇ 仲介者を用いた方法

今回の研究で用いられた行動療法は、学校を舞台に少しずつ話せる場面を増やしていくという点では、みなさんおなじみの『場面緘黙児への支援』や『場面緘黙Q&A』等で紹介されている方法と変わりません。放課後に着目しているところも『支援』や『Q&A』と同様で、興味深いです。

その一方で、『支援』や『Q&A』では保護者が大きな役割を果たすのに対し、今回の研究の方法では、少なくともこの論文を読む限り、保護者は行動療法には関わっていないという大きな違いがあります(ちなみに、対象児の両親は共働きで、お母様は仕事で忙しそうです)。また、今回の研究では、「アシスタント・セラピスト」という仲介者が出てきます。

* 以下、引用 (77-78ページ)*

本研究においても、休暇中あるいは放課後の学校場面で、対象児と自由に会話をすることのできるアシスタント・セラピスト(Ath.=大学のスタッフ)が仲介者となって、フェーディングを実施した。即ち、Ath.と対象児が活動をしているところへ担任が加わり、ついでそこに、対象児と親しいクラスメイトが加わり、漸次、子どもたちの数を増やしながら、初めの仲介者は担任とその役割を交代していく。担任は、放課後の子どもたちとの活動から初めて、次第に、通常の教育活動のなかで、対象児が自由に活動できるよう場面を調整する役割を負う。

* 引用終わり *

◇ 担任の先生が、緘黙のことをクラス全体に説明

介入の過程で、担任の先生がクラスの子どもたちに、本人のいないところで葉子さんの緘黙について話をする場面が出てきます。これは、子どもたちに葉子さんの問題を理解してもらうことと、放課後の活動への協力を促すことが目的です。

これには、私は驚かされました。普通このようなことは、なかなかできないのではないかと思います。今回の研究の場合、もともと葉子さん自身が著者や先生に協力的で、葉子さんの了解をとることができたからこそ、おそらく可能だったのだろうと思います。先生の話がクラスメイトに与えた影響は良い意味で大きかったようですが、葉子さんはクラスメイトに恵まれたと思います。先生の指導力によるところも大きいでしょう。

担任のメモを見る限り、先生は「緘黙」という言葉を使わずに、子どもたちに緘黙のことを説明しています。この点には注目したいです。

◇ クラスメイトは、緘黙の子のことをどう思っているか

今回の研究は、タイトルが「クラスのなかの場面緘黙-緘黙児と子どもたちとのふれあい-」とあるように、緘黙の子とそのクラスメイトとの関係が一つのポイントになっています。葉子さんを少しずつ話せるように持って行く過程で、クラスの子どもたちとの関わりを段階的に導入していったためです。

私は緘黙?だった頃、自分のことだけで精一杯だった感があるのですが、この論文を読むと、周りの子は私のことをどう思っていたのだろうと考えさせられます。私は緘黙の子の気持ちには敏感だったつもりですが、緘黙の子を取り巻く人々の気持ちにはいささか無頓着だったようにも思えてきます。

◇ むすび

最近は日本でも行動療法が緘黙の治療法として知られつつあるようですが、それだけに今回の研究からは学ぶことが多いです。また、今回の研究は学術論文とは思えないほどドラマチックで、葉子さんが話せるようになるまでの過程(やはり時間はかかっていますが)は感動的です。紀要論文なので、あまり一般の方の目にとまる機会はないでしょうが、なんだかそれがもったいないように思えます。