若い世代で顕著?コミュニケーション偏重主義

2010年05月11日(火曜日)

ひきこもり問題の第一人者として知られる精神科医の斉藤環氏が、『児童心理』2009年11月号の中で「オタクとひきこもり」と題する論考を発表しています。その中で、若い世代ほどきわだっているという「コミュニケーション偏重主義」と「スクールカースト」について述べている箇所があり、興味深く読んでいました。

* 以下引用(110-111ページより)*

「スクールカースト」という言葉がある。教室空間における一種の身分制を指す言葉であり、とりわけ中学や高校生活においては、「どの階層に属するか」をめぐって熾烈な競争がなされるという。

(中略)

それでは「階層」はいかにして決まるのか。生徒間の上下関係を決定づけるのは、ひとえにコミュニケーション能力である。勉強やスポーツその他の能力は、これに比べればあまり問題にされない。若い世代ほど、対人評価におけるコミュニケーション偏重主義はきわだっている。

* 引用終わり *

スクールカーストは、最近若い世代の人などの間で使われている言葉です。学校カーストとも言います。ここでは精神科医がこの言葉を使っていますが、学術的に広く使われている用語ではありません。なお、スクールカーストについては、Yahoo!辞書にも分かりやすい解説があります。ちなみに、私はこの言葉、あまり好きではありません。

Yahoo!辞書「スクールカースト」新しいウィンドウで開く

ところで、もし斉藤氏の指摘が事実なら、緘黙の中高生や、緘黙は軽快したけれどもいまだに人と接することが苦手だという中高生は、コミュニケーション偏重主義のもと、カースト下位に位置づけられやすそうに思えてきます。

斉藤氏によると、中学高校時代にカースト下位に入ると、その人のその後の人生にまで影響が及ぶ場合もあるそうです。

* * * * * * * * * *

* 以下引用(112ページより)*

コミュニカティブ=勝ち組という抑圧構造のもと、学生時代にたまたまコミュニカティブに振る舞う機会をもち損ねた生徒は、早ければ中学時点で「負け組」意識を徹底的に刷り込まれる。つまり「自分は生涯、日の当たる側を歩けない人間である」という思いを抱かされてしまうのだ。「社会に出ればいくらでも挽回の機会がある」という大人からの説得は、たとえ事実であっても彼らには通じない。「現在の不幸は永遠に続く」と思い込んでしまいがちなのが思春期心性なのだから。

(中略)

自分が非コミュニカティブな存在であるという自己認識はこのように形成され、多くの場合、成人して以降もこうした認識はついて回る。問題なのは、仮に彼らがその後の努力で高い学歴や収入などを達成し、いわば「勝ち組」の立場になった後でも、こうした自意識は十分に克服されないという点だ。中学・高校時代にたまたまそうした立場にあったということが、ほとんどトラウマと同等の影響を及ぼすわけで、彼らがいかにして自己肯定感を調達すべきかについては、いまだ困難な問題ではある。

* 引用終わり *

ぞっとする話です。これだと、中学生、高校生になってもなお緘黙状態にある人はもちろん、ある程度緘黙は治ったけれどもまだ内気で人と話すのは苦手という人でもなお、こうした「負け組」意識を持ち続ける場合があるということになります。

ただ、これは緘黙を経験した中高生に限った問題ではなく、中学・高校時代にコミュニケーションが苦手だった人に広く共通する問題です。

スクールカーストは学術的な検証を十分に経た概念ではなく、それを理由に、この説を退けたくもなります。ただ、精神科医という専門家が言っていることですし、少なくとも私にとってはある程度実感に合った説明ですので、簡単には無視できない説得力も感じます。

■ 私の場合

なお、私が中学・高校の場合はどうだったかというと、スクールカーストとはあまり関係のない少年でした。

私は中学、高校に入ってもなお緘黙は完全に消えておらず、人とコミュニケーションをとるのは苦手でした。一見、カースト下位に位置づけられそうな少年です。

しかし、非常に幸いなことに、クラス内でのグループの垣根を越えて、私は幅広いクラスメイトから親しく接してもらいました。学校で自由に話せない富条君を、みんなで温かい目で見てやろうという意識が、もしかするとクラスにあったのかもしれません。

ただ、強いて言えば、このように私に積極的に接するクラスメイトは、やはりコミュニケーションに長けたカースト上位の生徒がやや多かったです(前回の緘黙ストーリーに登場したZさん一派など)。しかし、クラスで何かグループ分けをする必要に迫られた場合(例えば修学旅行の班を作る場合とか)、大抵私はどのグループにも入れてもらえず、最終的にはコミュニケーションが苦手な人が多いカースト下位のグループに入っていました。

私のような例は珍しいかもしれません。また、最近の学校と私が通っていた頃の学校はまた違うだろうとも思います。

こうした中学・高校時代を送っていたにもかかわらず、私には斉藤氏の言う「負け組」意識がなかなか消えません。私の場合、中学・高校時代のコミュニケーション偏重主義よりも、それ以前の幼稚園・小学校時代の経験(いじめなど)の方が、今の自分の意識に影響していると感じています。

[文献]

◇ 斉藤環(2009). オタクとひきこもり. 児童心理, 63(16), 108-113.