[緘黙] 大学に行って4年間緘黙が治るまで待つ [ストーリー]

2010年08月03日(火曜日)

このブログでは、私の過去を連載形式で振り返っています。今回は高校生編の第6回です。通算第64話をお届けします。

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■ 私立高に進学したため、親戚から罵倒される

「η高校といったら、私立じゃないか!信じられん!私立は、公立に落ちた者が行くところだ!どうしようもない不良ばかりが集まっているところだぞ!!」

お盆の親戚の集まりで、私が私立η高校に進学したことを報告したところ、あるご年配の親戚にこのように言われてしまいました。しかも、皆の前で、大声で繰り返し非難され続けました。私が私立に通っているという理由で、汚いものでも見るかのような目で見られました。

私を罵倒したのはこの親戚1名だけでしたが、おそらく他の親戚も、口には出さなくても、概ね同じことを思っていたことでしょう。私立高校生というのは、私の地元では世間体が悪いです。

このような経験は、1度や2度ではありませんでした。このようなことがある度に、私は大学受験で挽回するのだという思いを強くしました。そしてそのためには、この高校時代にひたすら勉強に励まなければならない、緘黙を治すとか、勉強以外のことはできるだけ考えないようにしよう、そうした初心を確認していたのでした。

※ 以前にも書きましたが、私立高が「どうしようもない不良ばかりが集まっているところ」というのは、誤解です。事実、私は私立η高校で不良を見た覚えは、ただの一度もありません。

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■ 「お母さんを楽にしてやるんだぞ!!」

この親戚の集まりでは、ほかの親戚から「お母さんを楽にしてやるんだぞ!!」ということを何度か言われました。我が家は母子家庭です。お前は母子家庭の長男として、お母さんを楽にしてやれよ、そういうことのようでした。

この頃あたりから、私の母自身も、「お母さんを楽にしてやってくれ」と私に話すようになり出します。

私がしっかりして、家庭を守り立てていかなければならない、そういう思いがますます強くなっていきました。ただ、私は極端に無口で引っ込み思案で、小中学校の頃から、先生やクラスメイトから特別な配慮をいただきながら成長してきた少年です。そんな緘黙の私に大きな期待をされると少しキツイよ、大きな声では言えませんが、そんな思いも全くないではありませんでした。

■ 家族を否定し始める

それから、上の話と矛盾するようですが、この頃から私は自分の家族を否定し出すようになりました。そうしないと、大学合格はおぼつかないように思えたのです。そうして、ますます家族と物理的、心理的に距離を置くようになっていきました。

私の亡き父は大学受験生の頃「こんな家族と一緒にいてはバカになる」と言い、一人でひきこもって勉強に励んでいたそうですが、それと似たようなものです。

■ 大学に行って4年間緘黙が治るまで待つ

とはいえ、私は、自分は本当に大学に行くべきだろうかという疑問を常々持っていました。

私の親は、今どき男は大学ぐらい出ておくべきだと常々私に説いていました。また、私ぐらいの学力水準の生徒は、大学に進学するのが一般的でした。

ただ、私は、自分が大学に進学できるほど優秀な人間にはどうしても思えませんでした。大学生に求められる学力水準は本来高くあるべきなのに、私のような者が進学していいのだろうか、そうしたことを考えていました。また、大学を卒業して社会に出ても、自分が四大卒にふさわしい仕事ができるとは、到底思えませんでした。

ですが、このまま高校を卒業して就職するという道を選んだとしたら、果たしてこれほど無口で引っ込み思案な自分が企業に受け入れてもらえるだろうかとも思えました。それなら、大学に進学して4年間の猶予が与えられてるうちに、私の緘黙が軽快する可能性にかけるか--そんなことを考えていました。

模擬試験などで、希望する大学・学部名を書くよう要求されると、この頃の私は、一貫して経済学部を書いていました。社会科学に関心があったこと、中でも経済分野の学習に意欲を持っていたことによります。孤独で社会性に欠けた私が社会科学に興味を持つとは、妙なものです。

■ 担任A先生が病院通い

2学期に入って、担任A先生が担当していた放課後の古語文法の補習が、休講が続くようになりました。通院のためだとA先生はおっしゃいます。A先生はまだ20代の若い女性の先生でしたが、どこかお身体の具合でも悪いのだろうかと、私は少し気にしていました。

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