[緘黙] クラス委員長が務まらない! [ストーリー]

2010年11月02日(火曜日)

このブログでは、私の過去を連載形式で振り返っています。今回は高校生編の第9回です。通算第67話をお届けします。

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高校1年の10月頃、担任のA先生が妊娠により退職されました。新しく担任になられたB先生はA先生同様、若い女性の先生だったのですが、生徒指導部に所属されていて、生徒を締め上げるタイプの怖い先生でした。担当教科は女子体育。

これまでA先生が担当されていた現代文、古文、補習の授業も、それぞれ別の先生が受け持たれることになりました。

■ 成績が下がる

この頃あたりから、私の成績は下降を始めました。

先生が代ったら成績が下がる、分かりやすいです。やはり私の今までの自分でも信じられないほどの好成績は、A先生のおかげだったのだろうと改めて思いました。生徒を信頼し、生徒を積極的に褒める、そんなA先生特有の指導法が、緘黙等により自己評価の低かった私に大きな影響を与え、私の力を引き出していたのでしょう。それにしても、先生に成績が大きく左右されるようでは、本物の実力ではありません。

■ クラスも荒れる

調子が悪くなったのは、私だけではありません。クラスが荒れ始めました。これは、クラス委員長の私が、クラスをまとめる力が足りなかったからでしょう。

ある日には、現代文の授業で、なぜか先生(講師)が連絡もなく休んでしまうというトラブルが起ってしまいました。先生は次の授業には出席し、冒頭で皆の前で謝罪、再び正常通りの授業に戻りました。先生が突然連絡もなく欠席した理由は分かりませんでしたが、もしかするとクラスの気のゆるみが先生にまで伝播したのだろうか、これというのも委員長の私がしっかりしていないからではないか、そんなことを考えました。

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■ 落ち込む私

成績は下がるし、クラスは荒れるし、私は落ち込んでいました。

◇ 成績の下降について

3学期の頃、ある日私は日直になったのですが、学級日誌に、「こんな成績じゃ特進は駄目だ」などと、個人的な愚痴を書いた覚えがあります。

3月にはクラス替えがあり、成績優秀者は、希望すれば特別進学クラスに入る最後のチャンスがあります。私がこれまで緘黙を治すとか、他のことを犠牲にしてまで勉学に励んできたのは、高校受験の失敗を大学受験で取り戻すためであり、そのための第一歩として、何が何でも特進クラスに入らなければと考えていました。

担任のB先生には、個人的に励ましていただいたこともあります。ある時などは、先生が採点された朝自習で私が100点だったと褒めてくださったのですが、私の気分は相変わらずでした。

◇ クラスが荒れていることについて

私はクラス委員長として、荒れているクラスの雰囲気をなんとか以前のように戻したかったのですが、何もできませんでした。実に情けない話です。この引っ込み思案ですし、なかなか行動もおぼつきません。引っ込み思案だけが原因ではないような気もしますが。

先代のクラス委員長、Zさんはしっかりした仕事をしていたなと、この立場になって感じました。

Zさんは、男の私のことを「カワイイ」などと言って馴れ馴れしく接してくる、一見ただのキャピキャピギャル(死語か)でした。この前などは、Zさんのお尻と私のお尻が狭い通路で偶然接触してしまったのですが、そのときZさんは「いや~ん☆ヒロシのお尻って……」とはしゃぎながら、私のお尻に触れた感想を友達の前で語り出すという、とんでもないことをしていました(このZさんの声は、隣の特進クラスのMさんの耳にまで届いたらしいです。まったく恥ずかしい。お尻お尻って、大きな声で言うな!)。

しかし、締めるところは締める人だったのだなと今さら強く実感しました。Zさんは、クラス全体とのコミュニケーションがよく図れていました。

以前にもお話しましたが、私はもともとZさんには、ちょっとしたライバル意識を持っていました。学業面では、私はZさんに勝っていたのですが、クラス委員長としてはこのようにZさんの方が上だったと思っています。どちらが理想的な高校生なのでしょう。

■ クラス委員長の仕事

◇ どんな仕事をしていたか

やや話が脱線しますが、この頃の私のクラス委員長としての仕事と言えば、授業開始・終了時の号令「起立!」「例!」「着席!」に加え、生徒指導室にいらっしゃる担任のB先生と連絡をとることが日常的な仕事でした。

提出物の配布を任されたこともあります。先ほどの現代文の先生が突然休まれたときには、職員室と連絡をとったり、クラスの皆に自習を指示したりしました。ほかにも色々仕事をした覚えがあるのですが、思い出せません。

いずれも慣れない仕事で、うまくこなせたか自信がありません。ですが、今だから言えることですが、私にとっては、緘黙を克服するにはよい機会だったのではないかと思います。

◇ 副委員長との連携

クラス委員には、もちろん副委員長もいました。副委員長は2人で、ともに女子生徒でした。

委員長の私としては、場合によっては副委員長とうまく連携しながら、クラス委員の仕事をこなす必要がありました。しかし、私にはそうしたことがうまくできたとは思えません。緘黙がまだ残る私には人とコミュニケーションがうまくとれないこともあったのですが、そもそも副委員長をどううまく使えばよいかがよく分かりませんでした。

副委員長も、自ら積極的に私を補佐しようとはしませんでした。委員長がしっかりやってるから、私たちはとりあえず出なくてもよいと判断してくれたのであれば、問題ないのですが。

■ 3学期の終業式の日

そうこうしているうちに、高校1年も終わりを迎えました。

3学期の終業式の朝礼で、妊娠により退職されていたA先生がおよそ半年ぶりに私たちの前に姿を見せてくださいました。

放課後、クラスのある女子生徒が、なんと私に告白しようとしてくれました。クラス委員長が務まらなくて、皆の前で恥をさらしている僕になぜ、などと不思議に思いました。私の返事はというと、(ご想像にお任せします)

これと前後して、私はB先生から呼び出しを受けました。なんだろうと思い、先生がいらっしゃる生徒指導室に向かうと……







「富条、お前は来年から特進クラスに入ることになったよ」

(高1編終わり)

■ 高校1年のまとめ

高校受験での失敗を大学受験で取り返すべく、勉強に励んだ1年間でした。成績が伸びたため、大人しい性格なのにクラスでも目立つ存在になり、クラス委員長にまで推薦されてしまいました。学年の最後に、特進クラスに入ることが伝えられ、まずは第一の目標を達成しました。反面、緘黙を治すなど、様々なことを勉強のために犠牲にしました。

最後の方で、勉強がうまくいかないとか、クラス委員長としての仕事がうまくいかないなどと、ずいぶん落ち込んでしまいました。ですが、これは一人で思い悩んでいただけで、周囲は案外私のことを評価していたのかもしれません。

[続きの話]

◇ [緘黙] 緘黙最悪期の同級生と、再び [ストーリー]