緘黙の「自然軽快」について、雑感

2011年06月07日(火曜日)

場面緘黙症は自然に治るとか、そうでないとかいう話を聞くことがあります。これについて感じた拙いことを書きます。

■  「自然軽快」までの間に、緘黙児は何を経験する

仮に緘黙が「自然に治った」としたら、それはそれで結構なことだと思います。ただ、緘黙が「自然に治る」までの間に、緘黙の子(人)は、いったいどういう経験をするのだろうか、どういう思いをするだろうかと私などは考えてしまいます。緘黙が治るまでにどれだけかかるかは個人差があるでしょうが、早期介入せずに自然に任せた場合、それなりの時間がかかりそうに私には思えます。

「自然に治る」ことがもしあったとしても、その間に緘黙の子(人)が経験したことは軽視されないで欲しいと思います。

■  「自然に治った」は、治った原因の説明にはなっていないのでは

それから、「自然に治った」と言われると、私のようなひねくれ者は十分には満足できません。それでは、緘黙が治った原因の説明にはなっていないのではないかと考えるからです。

緘黙が「自然に治った」場合、その症状の改善の真の原因は何なのか、解明されてほしいです(難しいかもしれませんが……)。緘黙の子(人)の支援に役立つヒントが得られるかもしれません。実は「自然に治った」というのは大人の見方で、案外子どもは大人の知らないところで緘黙を克服するべく努力していたのかも……という見方は、さすがにひねくれすぎで、必ずしも当たってはいないだろうと自分でも思いますが、なんにせよ、症状改善の原因が気になります。