[緘黙] 高校時代のまとめ [ストーリー]

2012年02月01日(水曜日)

これまで「緘黙ストーリー」と題し、私の過去を81回にわたって連載してきました。今回は、そのうち高校時代を扱った第59話~第81話について総括を行いたいと思います。

今回も話数に入れて、高校生編の第24回、通算第82話にします。

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■ 緘黙症状について

◇ 場面緘黙症を知っていたか?

私は高校生になっても、場面緘黙症のことは知りませんでした。自分が学校に行くと話せなくなるのは性格の問題と考えていました。

先生も、緘黙をご存知だったかは疑問です。私の親も知らない様子でした。

このため、専門家には全く相談していませんでした。専門家以外でも、友人や先生、親に相談したといったことはありません。

◇ 私の緘黙の程度

私の緘黙は、中学時代に比べると若干良くなっていたと思います。高校1年でクラス委員長になったときは、小さい声ながらも、授業の開始・終了時には「起立、礼」の号令ができています。また、授業では、予習してきた内容を小声で発表しています。人によっては、治ったと見る人もいるかもしれません(何をもって「治った」とするかは議論の余地があるかもしれませんが)。

ただ、学校での私の無口・内気の程度は相変わらず極端で、私ほど極端な生徒は、少なくとも私の周辺にはいませんでした。

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■ 私自身について

高校時代の私は、一貫して勉強中心の生活を送っていました。高校受験で失敗したため、それを大学受験で取り戻そうと考えたためです。もともと私は中学時代から勉強重視の姿勢だったのですが、それが高校に入ってますます顕著になりました。

こうした次第で、勉強以外のことは後回しにしていました。大学に入ると時間に余裕ができると聞いていたので、勉強以外の問題は当面先送りするのが、時間の使い方としては賢明に思えたのでした。緘黙の克服も、後回しにしたものの一つです。なお、この緘黙の克服については、自分の個性として肯定的に捉えるべきではないかと考えた時期もあります。

中学時代同様に不安が強く、友人がいませんでした。学校のきまりを極端なまでに守ろうとしたり、テストで1度でも悪い点をとると自分の将来がなくなると考えたりと、多少強迫的なところがあったかもしれません。さらに、同世代の高校生と比べて、特に社会性の面で、明らかに幼いと常々感じていました。

■ 周囲の人との関係

◇ 富条の親との関係

この頃、私は親とは物理的にも心理的にも、ますます距離を置くようになっていきました。高校生というのは、こういうものだろうと思います。親も、私にはあまり関わらないようになっていきました。

◇ 先生との関係

中学時代同様、先生方は概ね私のことを真面目で優秀な生徒と見てくださいました(誤解だと思うのですが)。特にこの高校だと、私のような中途半端な者でも成績優秀者になってしまうため、これまで以上にその傾向は強かったです。このため、あまり先生から叱られた覚えがありません。また、私が学校で無言でも、そのことを責めるようなことはされませんでした。

◇ クラスメイトとの関係

クラスメイトも、私のことを真面目で頭のいい生徒と見ていました。概ね私に好意的で、私の緘黙のことにも理解がありました。ただし、「場面緘黙症」という用語を知る生徒はほとんど、あるいは全くいなかったのではないかと思います。中学時代に悩まされたいじめとも今回は無縁でした。

高校では一人も友達がいませんでした。ですが、私はさびしいとも、友達を作りたいとも思いませんでした。むしろ、この方が学業に集中できて理想的と考えていたほどです。なにしろこの学校にはあまり勉強に熱心ではない生徒が多く、学校側は「周りに流されてはだめ」と指導していたほどです。

クラスでは、意外に目立つ存在でした。

■ 緘黙ストーリーの限界

高校時代の記録があまり残っていない、記憶にもあまり残っていない、ブログでは書けないこともある、自分には自伝を書く力量もない、こうした事情で、緘黙とともに歩んだ私の高校時代を正確に描き切ることはできなかったと感じています。

なお、この話はあくまで「緘黙ストーリー」で、私の高校時代を「緘黙」という視点で書いたものです。単に自分の自伝を書くのであれば、もっと違った内容にしただろうと思います。また、実際の出来事をそのまま書いてウェブ上で公開するのには問題もあると考え、内容を少し変えて書いています。

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◇ [緘黙] 大学に入る準備 [ストーリー]