[緘黙] 大阪弁の学生 [ストーリー]

2012年10月02日(火曜日)

このブログでは、私の来し方を振り返り、連載形式で書き続けています。今回は大学生編の第7回です。通算第89話をお届けします。

前回の話⇒こちら / 緘黙ストーリーの目次⇒こちら / あらすじ⇒こちら

* * * * * * * * * *

■ 大阪弁の学生

私は大学の講義をいつも最前列で聴講していたのですが、そうしたところ、私と同様に最前列で聴講し続けていた優秀な男子学生(大阪弁)に声を掛けられました(第88話参照)。これ以降、彼は私に親しく接してくれるようになります。キャンパスではいつも一人だった私にとっては、ちょっとした転機でした。

私は無口で引っ込み思案だったので、私から彼に話しかけることは、例によってほとんどあるいは全くなかったと思います。彼の方から接してくるのが常で、私は彼に受動的に応じていました。

彼と私との相性は、悪くないように思えました。話を聞いていると、彼の出身地は、私がかつて住んでいた関西の某都市と近いそうです。また、彼は私と同様、演歌・歌謡曲が好きという平成の世には希少な若者でした。これは、がぜん親近感がわきます。

■ 大学の生活に慣れるようになる

大学1年も終わる頃になると、少しずつ大学に慣れ始めました。

◇ 大学の附属図書館にようやく出入りするようになる

この頃、大学の附属図書館にようやく出入りするようになりました。緘黙?が関係していたのかは分かりませんが、私は知らない場所に一人で入ることに苦手意識を持っていました。附属図書館にもなかなか行こうとしなかったのでしたが、ある時意を決して入館し、以後しばしば出入りするようになりました。

私は講義の空き時間や夜は、いつも大学構内で一人で自習をしていたのでしたが、附属図書館はその居場所の一つとして重要な位置を占めるようになっていきます。このほか、空き教室(演習室、講義室)や学部の自習室が、私の自習の場所でした。

* * * * * * * * * *

◇ 図書館に続き、知らない場所に入ってみる

附属図書館に続いて、私は一人で様々な場所に入ることに挑戦していきます。多くは、小売店などの店舗でした。

中でも私にとってハードルが高く感じられたのは、ラーメン屋に一人で入って注文し、食事をすることでした。学生が数多い大学生協の食堂に入るのにも最初は抵抗があったのですが、大学構内や学生街から遠く離れた一般のラーメン屋は、それ以上でした。結局、なんとか食事をすることに成功しました。20歳前後のいい齢した大学生が、お恥ずかしい限りです。

◇ 人通りの少ない道で、中国語の発音練習

大学までの通学路には、長い遊歩道がありました。人通りの少ない道だったのですが、私はこれをいいことに、遊歩道を歩きながら教科書を読むという、かなり変わったことをやっていました。私は歩きながら自宅と大学の間を往復していたのですが、徒歩の時間を有効活用しようという狙いからです。なにしろ、私はこの大学の学部を首席で出ることを目標としていたので(壮大な目標だ……)、これぐらいのことはしなければと考えていたのでした。

いろいろ教科書を読んだのですが、その中には、教養課程で第二外国語として学んでいた中国語の教科書もありました。中国語の教科書は、黙読するよりも音読していたのではないかと思います。人のいない場所での発声練習は、近年緘黙関係の本で紹介されている、放課後での発声練習にも通じるものがあります。これは、緘黙?の克服に役立ったかもしれません。

■ 電子メールって何だ、インターネットって何だ

大学に入学した頃、学部から私を含む全新入生に、「電子メールのアドレス」なるものが与えられました。

電子メールって何だろうと思いました。当時は今ほどにはインターネットが普及していなかった時代でした。加えて、私はもともと世間知らずで、さらに最近まで受験勉強に集中していたこともあって、電子メールはおろか、ウェブサイトを閲覧したこともありませんでした。

電子メールなるものを利用してみようと学部のマニュアルを読んでみたのですが、困ったことに何度読んでも理解できませんでした。こういう場合、普通の学生だと誰かに聞いてみるものだと思うのですが、私にそのようなことができるはずもありません。結局、このメールアドレスの利用の仕方は分からないまま、放ったらかしにすることになります。

[続きの記事]

◇ [緘黙]意中の先生と接触する[ストーリー]