続・場面緘黙症の自己診断について

2013年04月17日(水曜日)

小学4年生から大学在学中あたりまで、場面緘黙症と非常によく似た症状に悩まされました。しかし、 専門家の診断を受けたことは無く、場面緘黙症だったかどうかは定かではありません

(場面緘黙症Journal 「このサイトについて」より)」

私については「このサイトについて」で明記している通りです。過去の自分の経験を連載形式で書いた「緘黙ストーリー」で「緘黙?」「自己診断」といった表現を用いてきたのはこのためです(ただ、ときどき忘れることがあります……)。

緘黙ストーリー以外のほとんどの記事、例えば英国でこれこれこういう緘黙のニュースがあったとか、新しい緘黙の本を読んだよとか、そうした記事では改めて断ってはいません。この種の記事を書く上で、私が緘黙であったかどうかは問題ではないと考えるからです。

「自己診断」という言葉は、私が場面緘黙症Journal を立ち上げる前から緘黙関係の個人サイトで用いられていたもので、私はこれを採用しました。現在でもネット上でよく見かける言葉です。「自己診断」という言葉は、前回の記事にも書いた通り、本来専門家のみにしかできない診断を、自分が無手勝流に「診断」しているにすぎないという含意があります。

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私を含めて、自己診断などと断ってインターネット上で緘黙に関して情報発信をしている人をよく見かけます。あまり推奨されるべきことではないのかもしれませんが、断っているのであれば構わないだろうと思います。特に緘黙の場合、医師から診断を受けることのなかった(ない)人は少なからずいるでしょう。また、そもそもそうした診断基準自体が存在しない時代がありました。緘黙の概念も昔から固まっていたわけではなく、議論が行われてきました。『場面緘黙児の心理と指導』のように、緘黙を医家のみの問題として扱うべきでないというのも一つの立場だろうと思います。診断を受けたことがないと断った上で、それでも自分は緘黙だった(である)と考えているというのであれば、それもそれでよいだろうと思います。

厳密さを追求するならば、診断を受けた人も、その診断基準は DSM-IV-TR だったとか DSM-III だったとか ICD-10 だったとか断るべきということになるかもしれません。ですが、学術文献ならいざしらず、個人サイトやネット上での普段のコミュニケーションでそこまで拘ることは必ずしもなかろうと思いいます。

なお、このサイトでは、DSM-IV-TR や ICD-10 に記載のある「選択性緘黙」という用語ではなく、「場面緘黙症」という言葉をメインに用いてきました。これにはいくつかの理由があるのですが、その一つは、このあたりの事情が背景にあります。つまり、診断を受けたことがないのに自分の状態を「選択性緘黙」という用語で説明するのはどうかと思いますし、また、診断は受けていないけれども自分は緘黙だった(緘黙である)と考えている人や、診断基準にこそ厳密には当てはまらないものの学校などで長期間話せずに悩んできた(悩んでいる)人たち、その親御さんなどをも視野に入れるために、両者を区別したのが一つの理由です。

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