明治時代に、日本で緘黙児の報告か

2014年02月27日(木曜日)

アイキャッチ画像。雪が積もる銀山温泉街。写真サイト PAKUTASO より。
今から110年前の1904年(明治37年)に、場面緘黙症らしき児童の報告があったそうです。もしこれが本当に緘黙児の報告だとしたら、こんなに古い報告は、少なくとも私は国内では聞いたことがありません。

その報告は、北澤大吉という人が雑誌『信濃教育』に発表した「惡癖兒童矯正實驗談」にあるそうです。以下の論文の9ページ「『悪癖』児童に関する研究」という箇所をご覧ください(9ページの、主にページの右半分です)。

↓ 上越教育大学リポジトリへのリンクです。PDFファイル(787KB)。なお、PDFを閲覧するには Acrobat Readerが必要です。Acrobat Readerはこちら(新しいウィンドウで開く)からダウンロードできます。

◇ 中嶋忍、河合康(2013)「明治時代の雑誌『信濃教育』における特別教育の対象児童に関する研究論文の概要」『上越教育大学特別支援教育実践研究センター紀要』(19)、7-11。
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当時はまだ場面緘黙症と呼ばなかったのか、北澤は「教場啞」と呼んでいます。この「教場啞」が、当時教育関係者などの間で広く使われていた用語なのか、それとも北澤の造語なのか、それは上記論文からは読み取れません(これは気になるところです)。報告では、問題の児童が 教場啞になった原因の分析や、教場啞の児童を指導する時の留意点についてまで述べられたそうで、ある程度踏み込んだ内容のようです。

このうち指導の留意点については、児童が不安を感じさせないようにすることや、段階的に発話を促すようにすることなど、今日においても興味深い内容が含まれています。当時、こうした児童への対応の方法は教育者の間である程度共有されていたのでしょうか、それとも何も分からないまま手探りでこうした見解にたどり着いたのでしょうか。

なお、これまで私が確認した国内最古の緘黙の報告は、1951年(昭和26年)の高木四郎「口をきかない子供」(『児童心理と精神衛生』収録)でした。翻訳書では、それより11年古い1940年(昭和15年)の Gilbert Robin 『異常児』に、海外の緘黙の報告がありました。『信濃教育』の報告は、それより53年ないし36年も遡ることになります。なお、世界最古の報告は、1877年(明治10年)のドイツの医師 Adolf Kussmaul によるものです。

私としては、特にはっきりした根拠はないのですが、緘黙児・者は近代以前にもいたような気がします。ですから、明治期に緘黙児がいたとしてもさほど驚きはしません。ですが、この時代に、緘黙児が教育雑誌に正式に報告されていたとしたら、それには少し驚きます。

ただ、私は『信濃教育』を直接読んでおらず、上記論文の引用を通じてその内容を知り得たに過ぎません。上記論文の後半には「教場啞は、学校外では話をするが教室内では一言も話さなくなるものとされている。しかし事例の児童は、常に話をしない状態で」とありますが、この記述からは、報告された児童は場面緘黙症ではなく全緘黙症だったとも解釈できますし、それとも別のものだった可能性もありますが、そこのところも原文にあたってみなければ分かりません。近いうちに、何らかの方法で原文を読んでみたいと思います。

※「緘黙児への短期集中型行動療法」の続きの記事が後回しになっていて、すみません。

[続きの記事]

明治時代に、日本で緘黙児の報告か・続編