学校で話せないぐらい、なんだ

2014年04月21日(月曜日)

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場面緘黙症を理解してもらうのは、こんなに難しいことなのかと愕然としました。昨年、NHKや産経新聞など大手メディアが緘黙を取り上げたのですが、その報道に対する一般読者の反応をネットで観察していた時のことです(私にとって、ネットは世論の反応を見る唯一の方法です)。記事を読み、緘黙のことを誤解した人も多かったのです。記事のライターはプロの方で、私なぞとは違い、文章を書く専門的なトレーニングを受けた方ばかりのはずですが、記事は正しい理解につながってはいたとは必ずしも限らなかったのでした。

もっとも、考えてみれば緘黙に限らず、新聞に書かれた内容などをその通りに信じ混む人ばかりのはずはありません。斜めに見たり、否定してかかろうとしたりする人は当然いるでしょう。また、精神疾患全般に対して否定的な見方をする人もいます。さらに、そもそもネットの声は必ずしも世論を代表しているとは限りません。とはいえ、ちょっと驚きました。日本で緘黙のことを理解してもらうのは、私が想像する以上に難しいのではないかとまで考えました。

記事に対するたくさんの感想を読んだところ、誤解の大きな原因の一つは、緘黙が深刻な問題であることが伝わっていないことにあるのではないかと私は考えました。学校で話せないぐらいなんだということです。こうなると、「なんでも障害にして」という、よくある意見にもつながりやすいでしょう。この点、産経新聞の記事は、緘黙が不登校やひきこもりにつながる可能性について触れ、深刻な問題であることを示唆しましたが、それでもだめでした。

私は、5月を場面緘黙症啓発月間と勝手に題し、何らかの啓発活動を行う予定ですが、これをどう伝えるか、頭を痛めています。学校で極度に固まってしまい話せなくなることがいかに本人にとって大きな問題か、これは経験していない人には理解しにくいだろうと思います。少なくとも、単なる内気や引っ込み思案、人見知りとの区別はつけたいです。産経の記事は、この区別をもう少し明確にすればよかったのではないかと思います。