だめ園児・富氏
- 私と私の緘黙
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大河ドラマ・私の緘黙ストーリーです。前回は私が0〜4歳の頃のお話でした。
今回は、幼稚園の頃の話です。私が初めて家族以外との集団生活を経験したのは、幼稚園に入園した5歳のときでした。
幼稚園では緘黙にはなりませんでしたが、どうしようもない落ちこぼれ園児でした。(>_<)
[注意]
今回の記事は、お下品な内容を含んでいます。気品あふれる奥様方や育ちのよい女子学生のみなさまは、続きを閲覧しないことをおすすめします。
* * * * * * * * * *
■ 入園
私が入園したのは、満5歳の4月のことでした。幼稚園によっては、満3歳の子どもを受け入れるところもあるようですが、私が通った幼稚園で受け入れていたのは満5歳の子どもだけでした。
幼稚園では、全くなじむことができませんでした。組(たんぽぽ組)の中でも、最もなじめない、落ちこぼれ園児でした。
■ 知らない子どもばかり
幼稚園には、知らない子どもばかりでした。
前回、私の家の裏に団地があったというお話をしましたが、その団地の子どもたちが園児の多数派を占めていました。団地出身の子どもたちは、最初からお互い顔見知りで仲もよかったのですが、そうでなかった私は、その輪に入ることはできませんでした。
■ 何をやらせてもダメ…
それだけなら、まだましです。
私は、他の園児に比べて頭の回転がものすごく遅く、手先が不器用で、要領がとてつもなく悪く、何をやらせてもたんぽぽ組の足手まといでした。
みんな、明らかに私に比べて利発で賢そうで、大人びて見えました。同じ子どもなのに、どうしてこんなに大きな差があったのでしょう。子どもながらに、非常に強い劣等感を感じたものです。
■ 極めつけは、おもらし連発!
極めつけは、おもらしでした。幼稚園でおもらしを連発し、その度に泣きわめき、先生を何度も困らせました。たまらず、親が幼稚園まで迎えに来るといったこともたびたびでした。
幼稚園でおもらしをする5歳園児というのは、私の他にもたま〜にいた記憶があるのですが、私のおもらしの頻度は度を超していました。たんぽぽ組で誰かがおもらしをしたといえば、十中八九、私でした。
しかも、おもらしの内容もたまりません。小さいほうなら、まだましでした。ときどき…いや、これ以上は言わなくても分かりますよね。
■ あんまりだ!
人には個人差というものがあります。幼稚園でどの程度うまく生活できるかも、個人差があると思います。
ですが、私のレベルは、「個人差」では説明のできない、どうしようもなくひどいものでした。だいたい、5歳にもなって、幼稚園でうんこ(あ、言ってしまった)を何度ももらすとは、ただごとではありません。
私の父親は「神童」と呼ばれた、とても優秀な子どもだったと聞きます。それなのに、その息子が、どうしてこんな落ちこぼれに育ってしまったのでしょうか。
前回、私は3歳でやっと言葉らしい言葉を話したということをお話しましたが、もしかすると、私は発達に著しい遅れがあったのかもしれません。
それにしても、ちょっとひどすぎます。自分は将来、社会でやっていくことができないのではないかと不安を感じたのは、早くもこの頃です。
(つづく)
[続きの記事]
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- [2006/06/07 17:45]
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コメント
続きを読んでしまった(笑)!
私は3歳から保育園に入れられたので、辛い日々もその分多かったなぁ(苦笑)。。。
団地の話は、富氏さんの経験と似ているような気がします。
私の通っていた保育園は、団地の中にある保育園とは離れていたので、同じ保育園から一緒に小学校へ行く子がいなかったんです。
ただでさえ心細かったのに、誰も知らない、でも皆は知ってる同士だから私の入る隙間もない・・・みたいな

そんな気持ちは今でも持っていて、知り合い同士のお母さん集団の中には入っていけません。。。必要以上に避けてしまいますね・・・。
どうしてそんなにおもらし・・・しちゃったんだろうね(ゴメン)。
ガマンしてたの?
集団の中にいる不安が大きすぎたのかしら。。。いつもコメントありがとうございます!

あれ?野ウサギ。さんが通っていらした小学校には、保育園時代の知り合いはいなかったわけですか。遠くの保育園に通っていらしたのでしょうか?心細いですねー…。
おもらし
…なぜだろ?不安だったから?当時の気持ちは、全く覚えていません。ただ、一つはっきり覚えていることは、もともと私はおもらしの癖がなかなか直らない子で、小学1年生までおむつをつけて寝ていたことです。(>_<)はじめまして
緘黙で検索してたどりつきました。
私は、高機能広汎性発達障害+場面緘黙症です。
これまで、しゃべれないということは”自閉症”のせいかと思っていましたが、周囲のアスペルガーの人たちはそれなりにおしゃべりができていて結婚も就職もできている。
そのことに、ずっと違和感を感じてきました。
おもらし、私も幼稚園でよくしていました。
大きいほうは・・・忘れましたが(汗)
最近、どこからどこまでが広汎性発達障害で、どこからが場面緘黙症なのかがわからなくなってきました。
声が出ない、それだけじゃないような気がしています。
さまざまな方のブログなどを読んで勉強しようと思っています。
rain さん、はじめまして。
実は、私もそうです。違いが分かりません。DSM-IV-TR の診断基準によると、広汎性発達障害による緘黙は、場面緘黙症ではないとされてはいます。
場面緘黙症の場合、強い不安や緊張が原因ではないかと考えられているようです。そういう意味では、場面緘黙症は声が出ないという、それだけではありません。
発達曲線という考え方がありますが、私は一般の子どもに比べて発達がかなり遅いほうだったのかもしれません。発達が遅い子や早い子は、やがては他の子どもと変わらなくなるそうですが(例。「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」)、私の場合、二十過ぎても、他の若者に比べれば精神的に未熟だったような気もします。ただ、これは、単に私が読書量が足りなかったからだとか、緘黙症で極度の引っ込み思案だったので、色々な経験が足りなかったからだろうと考えています。
お返事です。
>死にたいとは思わないんですか?
これは、私が幼稚園の頃のことでしょうか、それとも現在のことでしょうか。
■ 幼稚園の頃
この頃は私は幼く、自分で死ぬという発想はまだありませんでした。ただし、小学校に入学してからは、何度死にたいと思ったことか分かりません。高校時代は、読書感想文で自分自身の自殺念慮について書いたことがあります。
■ 現在
私は現在うつでもありませんし、死のうとは考えてはいません。死のうと思えばいつでも死ねるのですから、当面は悪あがきをしてみたいと思っています。我が家は母子家庭で人手が不足しているもので、私みたいな者でも家庭にいないとなかなか大変なのです。
日本の緘黙サイトで自殺について言及したサイトはほとんど見つかりません。しかし、アメリカの場面緘黙症支援団体のサイトで、おそらく世界で最も場面緘黙症の情報が充実したSMG~CAN のサイトでは、成人した後も場面緘黙症を持ち越した方の深刻なメッセージが多数公開されていまして、このメッセージの中には自殺企図を漏らしたものも含まれています。
場面緘黙症で苦しんでいらっしゃる方が死にたいと思うことがあるのは自然なことだと思います。むしろ、日本の緘黙サイトで自殺について言及しているサイトがほとんどない現状の方がおかしいです。場面緘黙症と自殺については、いずれこのサイトでもとりあげたいと前から考えていました。いつのことになるか分かりませんが。
ただし、私は自殺はおすすめしません。
はじめまして
実は、掲示板もチャットもしたことがない、おばさんなので、ちゃんと、書き込めるのかしら?と不安ながらおじゃましました。
2カ月前からずーーっとこのブログを拝見させてもらってます。私はこれまでの40年間3人の場面緘黙児を知っています。
一人目は小学校の頃私にだけは話が出来る同級生が近所にいました。1.2年生のころは、良く覚えてませんが、3.4年の頃は、その子のお世話係でした。登校をいやがるそのお友達を毎日迎えに行ってました。その子の家はいついっても、電気がついてなく、誰も居なく、いつもひとりぼっちでかわいそうだなあと思っていました。その子は家では私と話せるけど、学校では周りに誰か居ると絶対話さないことを知っていました。そして、5.6年でクラスが離れて、その子とはだんだん離れていきました。いま思えばその子には私しかいなかったのに、、、、。中学校のある日久しぶりに見た彼女はエビのように背中が曲がっていました。
2人目に会った場面緘黙児は8年前です。以前に住んでいた団地のおむかいさんでした。もう5年生でしたが、どんなに話しかけても、無視、無表情で主人がすごく怒っていました。
そして3人目は、私の子どもです。
場面緘黙症という病名を聞いたときに、すぐに受けとめることが出来ました。わかっているだけに、とてもつらいことでした。
今小学1年生です。2カ月前、入学して知りました。
この2ヶ月間一生懸命勉強しました。
私に受容の体勢ができたのを、子どもながらに感じたのでしょう。徐々に私にこれまでのつらかったことを話すようになりました。
市の発達教育センターにも通ってますが、なかなか進まずあせります。でも、私自身で子どもを治していくのが一番だと色々取り組んでいます。
先生にもとても良くしていただいて、先日の家庭訪問の時には、順番を最後にしてもらって、体を使って遊んでもらいました。すると、先生の前で私と普通に会話できるまでになりました。先生と子どもの交換日記もはじめました。ご近所の理解もあって、気になるお友達とも遊べるようになりました。2カ月前に比べると、私も子どもも進歩しました。
富氏さんをはじめ、親に理解されていない緘黙症の人は、本当に辛いと思います。なんで、理解してくれないの??私が富氏さんの親に説教したい気分です!!
長くなりましたが最後に、近所の緘黙症の子はその後結婚して、子どももいます。私が14年前里帰り出産したときに、幼子を連れて身重の体で会いに来てくれました。ニコニコしてました。私に、今は幸せな姿を見せたかったのでしょう。
ははさん、はじめまして。
ははさんは、40年間に3人もの場面緘黙児と深く関わってこられたのですね。お話、興味深く拝読いたしました。
なかなか進まずあせるとおっしゃっていますが、お子さんがわずか2ヶ月の間にはっきりとした進歩が見られることに、私は驚きを隠せません。何年経っても緘黙の症状がなかなか改善しなかった人を、私はたくさん知っていますから。これはやはり、ははさんのご努力の賜物でしょう。
適切な対処により、比較的短い期間で緘黙が改善しているははさんのお話は、同じ境遇で悩んでいらっしゃる親御さん方に希望を与えるものかもしれません。ただ、親御さんが懸命にお子さんの緘黙を治そうとされてもなかなかよくならないこともあるので、難しいところです。
>富氏さんをはじめ、親に理解されていない緘黙症の人は、本当に辛いと思います。なんで、理解してくれないの??私が富氏さんの親に説教したい気分です!!
これは私の場合ですが、自分が学校で全く話せないということを親に言い出しにくかったんですよ。私が緘黙になったのは小学4年の頃ですが、ある程度の年齢になると、学校のことをなかなか親に話したりはしないものです。もちろん、それでも多少は話したことはありますが、ははさんのように受容の姿勢を示されたことはありません。「男の子がそんな情けないことでは駄目だ」というような叱り方をされたものです。歴代の担任の教師が緘黙症をご存知なかったということも不運でした。
最近更新が滞っていますが、決してブログを見捨てたわけではなく、一時的なものです。まだまだ続けたいと思っています。
お返事ありがとうございます!
これからも時々おじゃまさせてもらいます。
富氏さんの「だめ園児」を読んで、うちの子と似てる!と思って、書き込んだんですよ。違う内容でしたが。
うちの子は、言葉が遅く何か原因があるのではないか、と色んな検査を受けてきました。が、とくに見つからなく2歳半から4歳まで言語聴覚士による言語訓練を受けていました。言語の遅れによる自信のなさで、集団生活に適応できなかったものと思われます。
さて、今日は仲の良いお友達に、子供が一番リラックスできる我が家にきてもらいました。すると、30分後には言葉が出て、1時間後には大騒ぎ!友達のおかあさんに延長をお願いして、5時間も一緒に遊び、騒ぎまくりました。お友達が帰った後の子どもの表情は自信たっぷり!思い切って、その足で小学校まで私と2人で行きました。運良く学校が解放していて、地域の人が野球をしていて、緊張なく入ることができました。子どもものびのびと自分が育ててる朝顔や2年生のプチトマト、うさぎやにわとり、、いろんなところへ大きな声で私を案内していました。知っている人がまわりにいなかったのもありますが、この子がこの学校で声をだしたのは、今が初めてなんだろうな、と思ったら、なんともいえない気持ちになりました。
今度は、今日のお友達と一緒に学校へ私を含め3人で遊びに行って、徐々にその数を増やしていこうと思っています。
ははさんへ
ははさんと同じですね〜。
ははさんがされている取り組みは、今私がちょうど訳している9章「子どもの友達つきあいの輪を広げる(Expanding Your Child's Social Circle)"と同じ感じです。下手な訳で意味が取りにくいかもしれませんが、今ちょうど訳しているところを載せます。
「通常子どもにとって会話の恐怖の引き金となるのは、学校という場や学校に関連する活動です。そのため、学校から離れた所でクラスメイトと過ごす方が(例えば自分の家や、地域で)、子どもにとって安心でいられるのです。子どもがリラックスして気軽に感じるほど、クラスメイトと話す可能性が高いです。そのクラスメイトと安心して話す練習をたくさんすれば、ゆくゆくは学校という環境の中で話せるくらいに、十分に安心を感じるようになっていくでしょう。つまり、友達との交流は橋としての役割を果たすのです。学校以外の場で自信を持って話すことができた力を、学校という環境に橋渡しするのです。」
子どもさんの気持ちに添ってじっくり関わっておられると思いました。なかなか出来ないことです。応援しています!
ははさん、コメントありがとうございます。
ははさんのお子さんにも、言葉の遅れがあったんですね。ですが、言葉の遅れが自信のなさにつながったというところが私と違うようです。私の場合、3歳まで言葉を話せなかったものの、初めての集団生活である幼稚園入園が5歳の頃だったので、言葉の面で周りの子と比べて自信が持てなかったということはあまりありませんでした。それよりも気になったのは、知能レベルが周りの子に比べて明らかに低くて、それが自信を持てない原因になったことです。
お子さん、少しずつですが着実によくなっているようですね。家で仲の良いお友達と大騒ぎできるとは、明るいお話です。私は場面緘黙児の治療、療育についてはまだまだ勉強中なのですが、ははさんのお話を伺って、やはり緘黙症の治療、療育は、少しずつ話せるようになる場所、人を増やすことなのだろう、と考えさせられました。
失敗してしまいました。
しかし、失敗してしまいました。
頑張りすぎて子どもが熱を出してしまいました。
うちのこどもは運動神経が少しよかったので、その方面をのばして、自信をつけさせたいという想いから、一緒になって動き回りすぎてしまいました。
主な遊びは、おにごっこや少数ドッチボール(中当て)が多くて、これがまた、たまにうっかり声が出るもんだから調子に乗ってしまいました。
学校でもおにごっごが多くて、学童でも外遊びが多いのに、帰ってからも一緒に近所のこと外遊び。最近暑くなったし、これでは抵抗力も弱まりますね。ははも最近身体がクタクタと歳のせいにしてました、、、
今日は子どもも学校を休ませ、私も会社を休んで、のんびり過ごすことにします。
関係ないですが、私も功名が辻はビデオにとって見てます。確実に見られる番組は、現在これぐらい。
富氏さん、昨日功名、、があってるときに書き込まれてますが、ちゃんと見てました??(笑)
お大事に
お大事に。ははさんも今日はのんびり休んで下さいね。私も子どもが小さい時、なかなかテレビが見れずストレスたまりました。「せんせい」でなく「さん」でお願いします。
けいこさんへ
お心遣いありがとうございます。
ははさん、コメントありがとうございます。
>富氏さん、昨日功名、、があってるときに書き込まれてますが、ちゃんと見てました??(笑)
ご心配なく、時間をずらして見てました。(笑)
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