「花燃ゆ」主人公は、緘黙児だった?

2015年01月19日(月曜日)

アイキャッチ画像。萩市。写真素材サイトPHOTOSKUより。
今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公・杉文(吉田松陰の妹)が、場面緘黙症だったのではないか……ネット上のごく一部で、こういう見方が出ました。最近では、「緘黙」と Yahoo!Japan で検索すると、私の環境では検索候補に「花燃ゆ 緘黙」が出ます。

文の緘黙?が描かれたのは2週間前に放送が終わった第1話で、少し古い話題なのですが、ここで取り上げてみることにします。私もこのドラマを見ていたので、せっかくですから。

文は人一倍人見知りで、家族以外の人間と話すのを怖がっていた。文の遊び相手は、弟の敏三郎だけだった。

物語の序盤で、この解説が入りました。実際、劇中では文の人見知りの描写がありました。さらには、

のう、文。人が怖いか。怖いのは、お前がちゃんと自分の目で人を見ようとしとるからじゃ。うまく喋れんのは、お前が間違うたことが言えん正直者だからじゃ。

云々という、寅次郎(後の松陰)が人見知りの文を励ます台詞までありました。

私もドラマを見て、緘黙を連想しました。ですが、文は多くの人が集まる場で「寅兄が『こんなんじゃいけん』って」と言ったり、萩藩校・明倫館に弟と二人で侵入したり、あまり面識のない成人男性の前で『孟子』の一節を力強く諳んじたり、あっけなく人見知りを克服したりと、緘黙らしからぬところもありました。結局、私は「人見知りだとは思うけれど、緘黙とまで言えるかどうか。なんでもかんでも緘黙と見るのも問題だ」と考えて、この時はブログでは取り上げずに流したのでした。

とはいえ、やはり緘黙を連想した人は他にもいたようで、先ほどお話した通り、ネットでは文を緘黙児として見た人もいないわけではありませんでした。

制作者側の意図は知りませんが、もしかしたら文を緘黙児のような少女として描こうとしたものの(制作者側が緘黙を知っていたかどうかはともかく)、そういう子どもがどういう子か分からず、中途半端な描き方がされてしまった可能性も考えられます。今回のドラマでは聾唖者として知られる弟・敏三郎を描くために、米内山明宏さんが「ろう指導」を担当していますが(オープニングで確認できます)、もし緘黙児を描くつもりだったのなら、「緘黙指導」として、しかるべき人物を担当させるべきでした(これは半分冗談ですが…)。

今回のドラマのネット上の反応を見て気になったのは、主人公が人見知りなので、見ていてイライラしたという人がちらほらいたことです。私は考えたことがなかったのですが、人見知りの子どもを見るとイライラする人がいるのでしょうか。それとも、ドラマだからでしょうか。

それにしても、なぜ文が、人一倍人見知りという設定だったのか気になります。私は大河ドラマに限っては長年視聴してきましたが(低視聴率の「平清盛」も全部見ました)、主人公でこういう人物設定がなされるのは珍しいです。大河ドラマはある程度史実をもとに描かれますが、もしかしたら、実際の文も子どもの頃、人見知りが強かったのでしょうか。ですが、そこまではまだ調べていません。

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↓ 文の幼少期は幕末。今日の学校や幼稚園の制度はなく、文もこうした場に通ってはいませんでした。この時代の緘黙児は?かんもくの会代表のブログ「ほんとうは暖かい光が好き~場面緘黙症との闘い」へのリンク。

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