話せるようになろうという意欲に乏しい人もいる

2015年03月24日(火曜日)

アイキャッチ画像。写真素材サイト PAKUTASO より。
なんとか話せるようになりたいーー

場面緘黙症の当事者の多くは、こうした強い思いを持っているというのが私の実感です。

ところが、中にはそうでない当事者がいるとも感じています。実際、そうした子を持つ親御さんや、当事者からコメントやメッセージをいただいたことがあります。

話せるようになろうという意欲に乏しい当事者


米国の緘黙支援団体 Selective Mutism Group の前会長で、認定臨床心理学者の Aimee Kotrba 氏も、治療専門家等を対象とした著書の中で、そうした緘黙児・者の存在について述べています(Kotrba, 2015)。年齢の低い緘黙児よりも、年齢が高い緘黙児・者に見られるのだそうです。

Kotrba 氏はこうした緘黙児・者を3パターンに分け、それぞれのパターンへの対応方法を示しています。

1 自分は話せるようになれないと感じているパターン。
2 自分には話せるようになるための方法が分からないというパターン。
3 話せるようになることに利益を見出せないというパターン。


Kotrba 氏によると、1と2のパターンへの対応はたやすいのだそうです。私の本をここまで読んでくれた読者のみなさんなら、ちゃんと効果のある支援法があることが分かりますよね、ということです。

3のパターンに対しては、「動機づけ面接」という方法が紹介されています。

ここで、Kotrba 氏の見解について、思うところを書こうと思います。

1 自分は話せるようになれないと感じているパターン


まず、1番目のパターンについて。話せるようになろうという意欲に乏しい緘黙児・者は、どちらかといえば年長の子に見られるとのことですが、その年齢まで緘黙症状が続くと、そういう方向に傾きやすいのだろうかとも思います(一部の遅発性の緘黙については別にして)。

実は私も高校生の頃、この理由で、発話への意欲を失った時期があります(ただし私の緘黙?は自己診断)。自分の緘黙?が何年経ってもほとんど軽快しなかったうえ、そもそも緘黙を知らなかったものですから、これは克服不可能な障害のようなものだと思い込み、これを変えようとするよりはむしろ個性として受け入れて、緘黙?のままでも生きていける道を探すべきという考えを持つようになったのです。

ただ、実際のところ、長期にわたる緘黙の後に症状が軽快した経験者はたくさんいるようです。私も後にその道をたどりました。

前回お話した大人の緘黙に関する修士論文では、大人の緘黙者の緘黙症状は、平均すると12~19歳の時期に最悪の状態を迎えていたそうです。人によっては、このように10代がピークということもあります。

こうした情報を知らないばかりに、発話への意欲を失う人がいたら残念なことです。緘黙症状の軽快も遠のきそうです。それでも、高校時代の私が考えたように、緘黙のままでも生きていける道を見つけようと発想を転換し、それがうまくいけば、それはそれで素晴らしいことです(現在の私は、これは難しいと考えていますが)。ただ、発話ができるようになる可能性があるのに、それを知らずに諦めるのは、情報不足により人生の選択肢を狭めていることになり、どうだろうと思います。

Kotrba 氏の著書を読むような支援者に出会った緘黙児・者ならば、支援者を通じてこうした情報を得ることができるかもしれませんが、中には自分が緘黙であることすら知らず、症状が軽快する可能性があるとは思わない当事者もいるかもしれません。

2 自分には話せるようになるための方法が分からないというパターン


2番目のパターンについては、少し考えてしまいます。先ほどお話したように、話せるようになろうという意欲に乏しい緘黙児・者は年齢が高めの傾向なのですが、こうした年齢層の緘黙の情報は実際には少ないからです。もしかすると、こうした情報の少なさが、意欲を削がせる一因になっているのではないかとも思えます。

また、緘黙に対応できる専門家等がさほど多くない現状も関係しているのではないかと思います。独力でなんとかしようにも、その方法に関する情報も乏しいです。

情報や資源が乏しい中、手探りに近いかたちで緘黙の支援や克服に努力を傾けている人が多いのが現状だろうと思います。

3 話せるようになることに利益を見出せないというパターン


3番目のパターンには考えさせられます。こうした緘黙児・者が存在するのは、もしかしたら、周囲が緘黙でも困らないように配慮していることが、その一因の場合もあるかもしれないと思います。周囲の配慮があるばかりに、発話へのメリットが感じられない当事者がいるとしたら、どうでしょう。

ですが、たとえ緘黙のままでも、周囲の配慮や、本人の上手な生き方の選択により、現在そして将来にわたってそれほど困ることがなければ、どうでしょう。緘黙はその本人にとって障害ではなく、話せるようになろうとする意欲を持つ必要も本当になくなるかもしれません(もっとも、私は、これは現実的ではないと考えています)。

Kotrba 氏は「動機づけ面接」を提案し、このパターンの緘黙児・者に対しても意欲を持たせようとしていますが、このあたりどうでしょうか。

むすび・緘黙に関する情報や資源の充実を望む


私は、緘黙児・者は話せるようになった方がよいと考えています(もっとも、発話ができさえすれば緘黙克服とも思いません)。緘黙のまま生きていくのは、多くの場合困難を伴うだろうからです。ですが、考え方は人それぞれでしょう。小さな子なら分かりませんが、ある程度の年齢の当事者が、緘黙のままでいい、これを受け入れて生きていきたいと本気で考えていても、それはご本人の選択としてとやかく言わないようにしています。

ただ、本来は発話ができるようになる可能性があるにもかかわらず、緘黙に関する情報不足による思い違いや、利用可能な資源の不足により、それを諦めるようなことがあれば残念なことだと思います。そうしたことが起こらないためにも、緘黙に関する情報や資源が充実されるよう望みます。

だらだらと書いてしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

関連リンク


↓ ブログ「場面緘黙について考える-備忘録-」へのリンクです。英国では緘黙支援の第一人者とされる Maggie Johnson 氏の講演内容について書かれてあります。

◇ 年齢が上の子の支援 (新しいウィンドウで開く

文献


◇ Kotrba, A. (2015). Selective Mutism: An Assessment and Intervention Guide for Therapists, Educators & Parents. Eau Claire, WI: PESI Publishing & Media. [Kindle version]. Retrieved from Amazon.com
※ 2014年に発売された本ですが、本の著作権表示には2015云々と書かれてあり、よく分かりません。