「場面緘黙(症)」という名称は誰が作り、どう広まったのか

2015年07月23日(木曜日)

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学校など特定の場面で長期にわたって話ができない状態を「緘黙(症)」と呼んだ最古の例は、今のところ私が確認した限り、ジルベール・ロバン著、吉倉範光訳(1940)『異常児』、白水社です(378ページより)。

わたしの同僚がある日、十歳の児童を恐らく緘黙症であらうからと廻してきた。成程、訊いても答へない。幾度か尋ねても、たまに単語を答へる位である。家庭では口をきくし、両親の話によると、可成りに陽気であるらしい。学校でも友達とは口をきく、それもたつた一人の友達とだけである。

古い学術文献を見ると、この「緘黙(症)」という呼び方は、1950年代後半以降に定着しています。

ただ、50年代の文献をよく見ると、この頃は単に「緘黙(症)」とか「小児緘黙症」という名称です。今日馴染みのある「場面緘黙(症)」という名称は見つかりません。

そこで、疑問に思いました。「場面緘黙(症)」という名称は、一体いつ誰によって使われ出し、定着するに至ったのでしょうか。今のところ、緘黙に関する文献でこれについて触れたものは見た覚えがありません。「選択性緘黙」ではなく「場面緘黙」という名称を使おうという主張がある中、この名称の成り立ちを知っておくことは悪いことではないように思います。今回は、その歴史を探ってみたいと思います。

「場面緘黙」確認できた最古は1963年


「場面緘黙」の使用例で、私が確認できた最も古いものは1963年のものでした。2件見つかりましたが、どちらが先かは分かりません。

◇ 佐藤修策、繁永芳己、流王治郎(1963)「児童における行動異常の研究-場面緘黙-」『日本心理学会大会発表論文集 第27回』、382。

◇ 佐藤修策(1963)「場面緘黙の形成と治療」『臨床心理』2(2)、97-104。

どちらも、岡山県中央児童相談所に来談した緘黙児8ケースを考察したものですが、発表媒体が違います。

このうち前者については、なぜ「場面緘黙」という当時としては一般的でなかった名称を採用したかについて説明されておらず、また、採用理由の手がかりらしきものすら見つかりませんでした。

後者の論文についても「場面緘黙」という名称にした理由は書かれてありません。ですが、その理由を窺わせるものは見つかりました。論題「場面緘黙の形成と治療」には英訳があるのですが、それが Formation and Treatment of Situational Mutism というものだったのです。「場面緘黙」に対応するのが "Situational Mutism" です。

また、論文の冒頭には次のような一文を見つけました(97ページ)。

児童期における緘黙のうちもっとも多いのは voluntary silence (2), situational mutism (3)または elective mutism (4) の言葉で呼ばれている心因性の緘黙である。

上の引用文にある (2) (3) (4) という数字は参考文献を示しています。situational mutism の参考文献を示す (3) は「黒丸正四郎 児童の異常心理 異常心理学講座 1958」です。

そこで、この黒丸正四郎の本を調べたところ、「或る特定の状況におかれた時のみ、言葉を発しようとしない situational mutism を示す子がある」(23ページ)云々という記述を確認しましたが、「場面緘黙」の語は見つかりませんでした。situational mutism という用語がこれ以前に日本の文献で使われた例は、私は確認していません。この黒丸正四郎の本の緘黙に関する箇所がいったい何を参考に書かれたものかは読み取れなかったのですが、本全体は、海外文献を参考に書かれています。

以上のことから私なりに推測すると、

(1) 海外で situational mutism という名称があって、それを黒丸正四郎が日本で紹介(1958年)
(2) 岡山県中央児童相談所の佐藤修策が、それを「場面緘黙」と訳した(1963年)

といったところではないかと思います。もっとも、実は私が確認していないだけで、もっと古くから「場面緘黙」という名称が使われた例があったのかもしれません。新史料を発見できたら、また認識を改めることにします。

なお、海外には他にも voluntary silence や elective mutism といった名称もあったのに、なぜ佐藤修策は situational mutism を採用したのかは論文にははっきり書かれておらず、分かりません。

「場面緘黙」はどう広まったのか


「場面緘黙」という名称の成り立ちはひとまずこれでよいとして、次はこれがどう広まったのかが気になります。英語圏では situational mutism は広まらず、elective mutism の方が広まった歴史があります。

学術文献を検索できる CiNii と、本の内容を検索できる Google ブックスで、名称の使用件数を年代別に調べてみました。なお、検索の都合上、「緘黙」の使用数には「場面緘黙」「選択性緘黙」や、普通名詞としての「緘黙」の使用数も含まれます。また、「場面緘黙」の使用数には、「場面緘黙症」の使用数も含まれます。

学術文献検索サイト CiNii に見る、各名称のヒット件数


Google ブックスに見る、各名称のヒット件数


※ スマートフォンでご覧の皆様、見にくくてすみません。

70年代以降、緘黙が取り上げられることが増えていくのに比例して、「場面緘黙(症)」の名称も使われるようになっていったようです。

※ なお、Google ブックスで60年代に「緘黙」のヒット件数が多いのは、文学作品などで普通名詞の「緘黙」がよく使われていたためです。50年代についても、同じ理由で使用件数はやや多めです(追記)。

ただ、この70年代をよく見てみると、CiNii でヒットする「場面緘黙(症)」の文献は、ごく限られた特定の著者によるものがほとんどを占めています。Google ブックスについてはこのあたりよく分からないのですが、もしかしたら当時はまだ、この名称が幅広い専門家の間で支持されてはいなかった可能性もあります。

80年代以降になると、もう少し幅広い著者が「場面緘黙(症)」の名称を使っていることが確認できます。

むすび


「場面緘黙」の名称が確認できた最古の例は1963年でした。situational mutism の訳語として使われ出したものでしょうか。

その後、70年代以降、緘黙が取り上げられる頻度が増えたのと比例して、「場面緘黙」の使用頻度も増えていきました。