小学1〜3年の頃・緘黙症になる前(2・完)
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私の緘黙ストーリーです。前回の記事はこちら。
今回は、第1部「前緘黙時代」の最終回です!(「全緘黙時代」ではありません)
小学1〜3年の頃の私と親の関係を中心に書いています。場面緘黙症とは直接関係ない内容です。
■ 両親
私の両親は、仲のいい普通の夫婦だったと思います。母は専業主婦で子育てや家事担当、父は仕事担当という、当時としてはごく一般的な夫婦でした。
* * * * * * * * * *
少し変わったところがあるとすれば、両親ともに高学歴者だったわりに、私に勉強しろとうるさく言わなかったことでしょうか。特に習い事に通うように命じられたということもありませんでした。
■ 母
母は、子どもをガミガミ叱り、また、子どもの欲しいものをちっとも買ってくれない、庶民的なごく普通の母親だったように思います。ただ、母曰く、私については「長男だから少し厳しめに育てた」とのこと。
★ ガミガミ怒られてこたえた!
私としては母によく怒られたのが大変こたえました。「叱る」というよりは「怒る」という感じでした。女の人って、どうしてすぐ感情的になるのでしょうか。いつも理由もなく機嫌が悪そうにしている感じで、近寄りがたくて仕方がありませんでした(これで、一部の親御さんを敵にまわしたかも…)。
母と接する中で子どもながらに学んだことは、やたらと感情をあらわにして怒ると、相手がいかに傷つくかということでした。そうして、私はあまり怒りを表に出さない温和な子どもになりました。「キレる子ども」とは対照的です。
後年、私は自信なさげな人間に育ってしまったものですから、母は「この子には少し怒りすぎたかもしれない」と省みるようになりました。もっとも、私が自信なさげなのは、本当に母の育て方が原因かどうかは分かりません。
私は少年時代、母に褒められた記憶はほとんどありません。怒られてばかりでした。まあ、褒めようにも褒めようがない、どうしようもないおっちょこちょい少年だったので無理もなかったのですが…。
★ あれをしてはだめ!これをしてはだめ!
他に、「あれをしてはだめ!これをしてはだめ!」というように、とにかく「だめ!だめ!」というような教え方をされたことも非常に影響が大きかったように思います。
この影響で私は極端に行動抑制的な性格になり、少年時代のみならず、成人後も、何かにつけて「こんなことしたら怒られるんじゃないだろうか〜あんなことしたら怒られるんじゃないだろうか〜」と自分の一挙手一投足に不安を感じるようになってしまいました。
■ 父
父は母に比べておおらかな人で、母のように私にガミガミ言うことはありませんでした。
父は仕事で忙しく、なかなか私と一緒に過ごす時間は持てませんでした。多忙な父でしたが、休日になると時々車で家族一緒に旅行に連れて行ってくれました。たいそうな観光名所を数多く訪れたはずなのですが、なにしろ子どもだったもので、全く覚えていません。もったいない話です。なお、下の画像は生野銀山のお土産です。
こんな父でしたが、次第に体調を崩すようになり、私が小学3年の頃になると、近くの病院に入院してしまいました。
■ 親戚
お盆休みになると、親戚の家に遊びに行きました。父と母はともに、当時私が住んでいた関西地方から離れた他県の同じ都市で生まれ、育った人でした。その実家に帰るのです。
親の実家では、私は親戚の方々からとても可愛がられました。私のことをガミガミ怒ってばかりだった母とは対照的に、親戚の方々は私をいつも温かい目で見てくださいました。また、父方の親戚の家のお隣のお隣のOさん宅には、私と同い年の女の子と、私より年下の男の子がいて、仲良くなりました。
ここに住む人はいい人ばかりだな〜と、すっかり気に入ってしまいました。
* * * * * * * * * *
■ 話は学校生活に戻る
こうして、小学校生活6年間のうち、半分の3年間が過ぎようとしていました。
小学3年の終業式を最後に、2人のクラスメイトが転校して学校を去っていきました。1人はクラスのガキ大将、もう1人は私の初恋の人でした。
何度もクラスメイトとの別れを経験してきた私ですが、このときも、どこか他人事で見ていました。転校はあくまで私とは別世界の出来事であって、自分が転校するようなことはまさかないだろうなどと、何の根拠もなく考えていたのです。
(第1部終わり)
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★ 蛇足
私の初恋の人は、下の名前を「央子」さんとおっしゃったのですが、何とお読みすればよいのか分かりません。ようこ?なかこ?ひさこ?ちさこ?
自分の初恋の人の名前を正確に読めないなんて、情けなすぎます。
[続きの記事]
★ 富氏、転校する!
[第1部 目次]
- [2006/07/15 08:12]
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コメント
思わず
親戚の家が居心地良かったんですねぇ。私とは逆だわ。何でか親戚の家でも緘黙になってたの。

富氏さんは転校してから緘黙になってしまったんですよね。。。私ははっきり言って「転校したかった〜」。小学校低学年の頃から転校したいって思ってました。転校して全てを初めからやり直したいて思ってた。。。
みるも
だから富氏さんはこんなに緘黙を詳しく調べることが
出来るんだ!(笑
私の緘黙は遺伝だと最近は思ったりしますー。
もう私は生まれた瞬間から人見知り激しすぎた;
母は普通だけど父が他人の前ではオトナシイような気がする。
母の運動の悪さがうつったから私は運動ができない。
母と父の悪い部分全部が私にうつった。(ぁ
ドラえもんののびたくんみたい
にしても私、新能力も運動もあまりにもできなさすぎ;
野ウサギ。さんへ
そんな冗談はさておき、どこの母親も怒りっぽいものだと思います。私の母もおそらく人並みだったのではと思うのですが、私には大変こたえました…。
>親戚の家が居心地良かったんですねぇ。
>富氏さんは転校してから緘黙になってしまったんですよね。。。
私は親戚の家から学校に通って、学校で緘黙になりました。次回からは、私が緘黙になり、定着するまでを丁寧に書きます。お楽しみに!(緘黙になる話を楽しみにするというのも変な言い方ですが)
みるもさんへ
>だから富氏さんはこんなに緘黙を詳しく調べることが出来るんだ!(笑
今まで一生懸命勉強してきたからです!…と言ってみる。ですが、まだまだ勉強しなければならないことが山ほどありますよ。(>_<)
「場面緘黙症を理解するために」にも書いてあるように、場面緘黙症と遺伝は関係があると言われています。
>ドラえもんののびたくんみたい
みるもさん、のびたくんみたいですか?私も、何をやっても鈍いので、自分をのびたくんと重ね合わせたことは何度もあります。ただ、私がのびたくんと決定的に違うところは、くよくよと思い悩むことですね。能天気な人が羨ましい…。
理解を得られのは
勉強これからも頑張ってください!!
私だったら緘黙症が治ったら緘黙のこと興味なくなったりして(汗
勉強
ありがとうございます。頑張ります!
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