富氏、転校する!

2006年07月29日(土曜日)

連続ブログ小説・私の緘黙ストーリーです。前回の話は「こちら」

今回から第2部が始まります!私が場面緘黙症になって、その症状が定着するまでを丁寧に書いていきたいと思います。

[これまでのあらすじ]

富氏は男の子。3歳まで言葉が出ず、幼稚園に入ってもおもらしを続ける、世話を焼かせる子どもだった。小学校に入学し、場面緘黙症にもならずに過ごしていたが、大人しく目立たない、いじめられっ子だった。

小学4年に入って、転機が訪れる…。

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「引越しをするよ!」

…と母から聞かされたのは、小学4年の始業式からほんの1週間ほど経った頃でした。この引越しをきっかけに、私の運命が大きく変わることになります。

■ 引越し!

母の話によると、詳細は以下の通りでした。

  • 入院中の父の病気を治すために、もっといい病院のある親戚の住む街(他県)に引っ越す。当然、転校する。
  • 引越し先は、父方の親戚の家。
  • 父の病気が治るまでは、親戚の家にご厄介になる。治ったら、またここに戻ってくる。
「嫌だ!」と私は言いました。「お父さん一人が転院するのに、どうして家族みんなが引っ越さないといけないのか」なんて親不孝なことも言いました。

物心ついた頃から住み慣れた、愛着あるこの街を離れるのは、やはり抵抗がありました。しかし、「ちゃんと言うこと聞きなさい!」とばかりに、例によって母にガミガミ怒られてしまい、全く聞き入れてもらえませんでした。心理カウンセラーなら、おそらく「そうだよね、引越しは嫌だよね」と共感の姿勢を示したところでしょうが、親は子どもの言うことを否定したがるものです。最後は「お父さんの病気が治ったら、また帰ってくるから」という言葉に納得して、引越しを受け入れました。

この引越しは大人の話し合いによるもので、母がこの話を私に告げたときには、何もかもが既に決まってしまっていたようでした。皮肉なことに、この引越しで最も人生に大きな影響を受けたのは、話し合いに参加できなかった子どもの私でした。この引越しさえなければ、私が場面緘黙症になることはなかったのです。

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■ 冷たいクラスメイト

当時の『連絡帳』が残っています。これによると、4月16日に、この『連絡帳』を通じて先生に引越しが伝達されています。

先生もたしかこの日あたりに、私が引越しをする旨をクラスのみんなにお伝えされたはずです。

しかし、クラスメイトの反応は鈍く、私に「富氏君、引っ越すの?」と声をかけてくれた子は、一人もいなかったと思います。冷たいものです。しかし、無理もなかったかもしれません。目立たない私には親しい友達もいませんでしたし、いじめられっ子でしたから。

■ そして、転校

4月20日、突然引越しをすることになりました。もう少しあとになると聞いていたのに、びっくりでした。『連絡帳』に残る母と担任とのやりとりからも、そのときの慌しい様子が窺えます。

[富氏の母]

本日、急に引っ越すことになりました。11時頃出ますので、学校に残してある物を持たせて帰して下さい。転校に必要な書類については、H先生にもお願いしてありますが、今日間に合わなければ、後ほど、郵送して下さい。誠に急な事で恐縮ですが、よろしくお願い致します。クラスの皆さんにもよろしくお伝え下さい。どうもありがとうございました。

[担任のK先生]

土曜日だと思っておりましたので、お別れ会の準備はまだ全くしておりませんでした。申しわけございませんでした。新しい学校でどうぞがんばって下さいませ。

このK先生は、小学3年の11~12月頃から、前の担任の先生に代わって急遽受け持っていただいたお若い方でした。先生とはわずか3~4ヶ月のお付き合いに終わることになりました。

お若いK先生は、お別れ会ができなかったことに責任を感じていらっしゃる様子で、私が学校を出る時間に、校内放送を使ってクラスの児童を私の家に近い裏門に集合させました。校内放送をこういう使途に使うのは、本当は学校の規則で禁止されているそうでした。

そして、「富氏君に、お別れのアーチを作ろう」と呼びかけられ、門の前で、児童に二人一組でアーチを組ませ、「ここをくぐって帰って」とおっしゃってくださるのです。

先生が贈ってくださった、私へのはなむけです。私はジーンとしていました。しかし、心無いクラスメイトの一言がそれをぶち壊しにしました。

「おい、お前!早くくぐって出て行けよ!」

こんなにクラスメイトが冷たいものとは思ってもいませんでした。私が転校するというのに一言も声をかけてくれず、挙句の果てにはこれですから。確かにいつも「お前なんて学校来るな」とは言われていましたが、最後の最後にこんなこと言うことはないではありませんか。

「こんな学校に、未練はないー!!」

と心の中で叫びながら、私はアーチの中を走りぬけ、裏門から家に帰りました。そして、そのまま引っ越しました。

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■ 引越し先で

引越し先は父方の親戚の家でしたが、毎年お盆休みに遊びに来ているところだったので、不安はありませんでした。親戚の方々は昔から私にとても親切にしてくださいましたし、特に不自由は感じませんでした。こうして、親戚と私の家族の同居生活が始まりました。父は入院し、治療に専念です。

隣の隣の家に住んでいた、おさななじみのOさんの娘さん(同い年)とその息子さん(2つ年下)も、私を歓迎してくれました。

引っ越して間もない私でしたが、この街は前から好きでした。私が引越しにそれほど強く抵抗しなかったのも、このためです。毎年お盆休みに親戚の人たちと接して、「ここの人はいい人ばかりだな~」などと感じていたので、おそらく学校の子どもたちもいい人が多いのではないかと単純に考えていました。

■ 学校に通う準備

私は引っ越した直後にでもすぐに学校に通うつもりだったのですが、急の引越しだったせいか転校手続き等が間に合わず、学校に通うことができませんでした。2~3日は家でぶらぶらしていました。

そこで親戚のお兄さんが、「学校がどこにあるか、案内してやるよ」と私を連れて行ってくれました。校内に入ることはできませんでしたが、学校の周りから、校舎やグラウンドを眺めました。期待30%、不安70%といった心境でした。このα小学校は比較的最近建てられたもので、親戚のお兄さんは「この学校、ワシが建てたんだぞ」と自慢していました。おそらく、土方のアルバイトでもしていたのでしょう。

私がα小学校の校内に初めて入ったのは、本格的に授業に参加する1~2日ほど前で、このとき3者面談で、担任のN先生と初めてお会いしました。この地域には集団登校制度がないとか、間もなくバス遠足があるとか、いろいろお話を先生から伺いました。

そうして、いよいよ私が登校する日がやってきました。

(つづく)

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